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2026.05.08 コラム

白酒(パイチュウ)奮戦記 - 山東省

白酒と言えば中国を代表する有名な酒で、皆さんもご存じかと思います。中でも最も有名なのが「茅台酒(マオタイ酒)」でしょう。1972年日中国交正常化式典の宴席で、田中角栄首相と周恩来総理が乾杯したことで日本でも広く知られることとなりました。私も中国駐在中に何度も口にしたことがあります。さて、今回はこの白酒にまつわる話です。

 

山東省の済南(サイナン)に出張した時のことです。地元のパートナーへの表敬で訪れたのですが、先方は「待ってました!」とばかりにその夜は先方の幹部が主催する歓迎会が催されました。山東省で歓迎会と言えば絶対に欠かせないのが白酒です。

 

豪華な料理を前にいよいよ宴会開始となったそのとき、先方の幹部が「先生、中国では偶数が縁起がいいというのはご存じですか?」と聞くので、「もちろん知っています。」と答えました。すると、すかさず円卓にいた一人が「好事成双(=良いことは二つ同時にくる)だから、二杯連続して飲みましょう。」と言い出しました。「いいですよ。」私は喜んでその申し出を受けました。

出された白酒はアルコール度50°の地場の酒。飲み干した酒が食道を通って胃の中に流れ落ちていくのが自分でもわかります。それが済むと、今度は別の人が、「四大喜事(=人生で四つの嬉しいこと)だから四杯飲みましょう。」と言ってきました。これも受けることに。やれやれと思った矢先、今度はまた別の人が「六六大順(=全てが順調)だから六杯いきましょう。」と言ってきたのです。こっちは私一人、相手は全部違う人。「アンフェアーだろう!」と思ってはみたものの、なすすべなく六杯連続で。ほうほうの体で飲み終えると、「八面玲瓏(=八方美人)だ。八杯いきましょう。これで最後です。」と言って今度は八杯連続で。

 

結局、空腹のまま連続で20杯の白酒を次々と飲む羽目になりました。夏の夜空に大輪の花を咲かす四尺玉のごとく、私の胃の中で白酒が次々と炸裂し続けたのでした。「先生、実にいい飲みっぷりですね!」と褒めてもらったものの、こっちにしてみれば「冗談じゃないよ。俺を殺す気か!」です。私は心の中で叫んでいました、「とんだサイナンだ!」

当時の中国は飲むことが仕事のような時代でしたが、済南でのこの一件は私の数ある白酒奮戦記の中でも特に記憶に残るものです。

 

PS 某日系企業の駐在員が白酒で命を落とした事例もあり、白酒は飲み方を誤ると怖い酒であることを申し添えておきます。

 

【補足】

文中の「四大喜事」は漢詩の五言絶句の中に出てくるもので、以下を指します。

〇久旱逢甘霖(長い干ばつの後の恵みの雨)

〇他郷遇故知(他郷で昔の知人に逢う)

〇洞房花燭夜(新婚初夜)

〇金榜提名時(科挙試験に合格)

 

Y.S.

2026.04.17 コラム

中東の思い出

30年近く前、私はある中東の国に駐在していた。これは、会社は違うが、当時仲良しだったお酒好きの友人の話である。

 

その頃は、まだコンプライアンスという概念は未成熟で、のんびりした時代であった。外国人はコンパウンドという壁に囲まれたアパート群の中に住み、暗黙の了解のもと、イスラム文化とは隔絶された生活を送っていた。

 

その国の法律では、お酒は全くのご法度で、ホテルにも置いていなかったが、外国人はいろいろ工夫して、コンパウンドの中でお酒を造っていた。一番多いのは、ぶどう100%のジュースに砂糖水とパンイーストを入れて造る赤ワインで、少しパンの香りがした。スーパーでは、なぜかコルク付きの720cc瓶に入った、ぶどう100%のジュースがたくさん売られており、その隣にパンイーストが置かれていた。
ある日レジで働いていたフィリピン人が、外国人がぶどうジュースと砂糖を大量にカゴに入れているのを見て、「パンイーストをお忘れじゃないですか?」と聞いたという。

 

また、イギリス人はビールが好きで、ノンアルコールビールに砂糖とイーストを入れて再発酵させ、こちらも3週間でアルコール入りビールを造った。ただし、室温が高いと過発酵により瓶が爆発することがあるので、瓶が入った箱にふたをするなど、厳重な注意が必要とのことだった。イギリス人からすると、一旦アルコールが抜かれたビールに、危険を冒してまたアルコールを注入するという、何とも理不尽な作業であった。

私の友人は、それだけでは飽き足らず、原油の精製と同じ手法で焼酎を造った。研究を重ねた結果、原料はトマトが最適とのことで、大量のトマトに砂糖水と日本から持参したワインイーストを入れて、原液を作る。3週間経つと発酵が終わるので、渦巻き状のパイプを中に配置した大きなタンクに水を入れ、圧力鍋と連結して作ったプラントで、3回蒸留する。すると約90度の焼酎ができあがる。紀元前から変わらない、蒸留酒の造り方である。
それを同じく日本から持参したアルコール度数計を使って水で25度まで薄め、ちびちびと大切に飲んだそうである。ちなみに、これにジェニパービーンズという市販の松の種を入れて香りを付け、もう一度蒸留するとジンになるという。

 

彼のチャレンジは日本人コミュニティーの間で評判となり、頻繁にパーティーに誘われるようになった。彼はその期待に応えようと、毎週末お酒造りに励んだ。ところがある日、蒸留中に砂糖水でできたドロドロの原液を、全てキッチンの床にこぼしてしまった。当然奥様の逆鱗に触れ、ひとりで掃除していたのだが、うっかり足を滑らせて、右足の薬指を骨折してしまった。日本人コミュニティーの間では、骨折してまで酒造りに勤しむ努力家として、ある種の尊敬を込めて語り継がれた。

 

今でも、寒い日などは右足の薬指が痛むそうである。昔々の思い出である。

Y.I.

2026.03.27 コラム

居酒屋『兆治』

かつて北京に『兆治』という名の小さな居酒屋がありました。会社の事務所から近いこともあり仕事の後たまに飲みに行っていました。
この店はTさんという日本人が営む居酒屋で、店の名前は彼が大好きな高倉健が主演した映画『居酒屋兆治』からとったものです。

店内は6人が座れるカウンターと4人掛けのテーブルが3つのこじんまりした店でした。店はTさんと中国人の奥さんの二人で切り盛りしており、ご主人は厨房で調理を、奥さんは接客を担当していました。日本の居酒屋の雰囲気が味わえるということで日本人駐在員に人気の店でした。

 

このTさん、実は一つ大きな悪癖がありました。
元々酒好きの彼は、仕事中に客と酒を飲み交わし、酔いが回ってくると若者を捕まえて「最近の若い奴は。。。」と説教を始めるのです。
馴染みの客は「また始まった。」と苦笑いをするのですが、これが後に大きな事件を引き起こすことになります。

ある晩、青年海外協力隊の一員として北京を訪れていた若者二人が『兆治』に飲みに来ました。酒が回ってきたご主人、例によって二人を捕まえて説教を始めたのです。
余りのしつこさに堪忍袋の緒が切れた一人が口答えをすると、「なんだと~、誰に向かって物を言ってんだ!」と言い争いに。
ついにはご主人の鉄拳が若者の顔に放たれ、若者はバランスを崩して床に倒れました。店内は騒然、周りの人たちが中に入り、ご主人も自分の非を認めてその場は収まったのですが、その夜事態は急変します。
床に倒れた若者が激しい頭痛を訴え救急車で病院に運び込まれました。事態は一刻を争うということで緊急手術が施されたのですが、それもむなしくついに帰らぬ人に。
死因は急性硬膜下出血だったそうです。床に倒れた際打ちどころが悪かったのでしょう。
ご主人は傷害致死罪で逮捕され裁判で有期刑が下されました。(日本人同士の事件であること、日本大使館の働きかけもあり量刑は通常より軽かったようです)ご主人がいなくなった店は暫くして静かに暖簾を下しました。長い駐在員経験の中でも何とも後味の悪い出来事です。

 

「酒は飲んでも酒には飲まれるな」・・他山の石として肝に銘じています。

Y.S.

2026.03.06 コラム

中東での出来事

もう30年近く昔の話である。私は、ある中東の国に、家族を帯同して駐在していた。
会社の規定により、その国では通勤や日常生活の移動に、すべて運転手付きの社有車を使うことになっていた。

 

ある朝、私は朝食を終えて、いつものようにリビングで迎えの車を待っていた。妻と、小学生の娘、息子も一緒だった。

ふと、私の目に、蝶のような生き物が、4枚の羽をひらひらさせながら、部屋の中を優雅に飛んでいる姿が映った。だが、それは決して蝶ではなく、アゲハ蝶の3倍近くある大きさで、羽は透明で周囲だけがピカピカと金色に輝いていた。
さらに目を凝らすと、身体はなんと人間であり、真っ白で性別はなかった。まるで、一時期テレビのバラエティー番組で流行った、全身白いタイツを着た、もじもじ君のようであった。

私は驚いて、家族に「あれは何?みんなも見える?」と叫んだ。だが、家族は怪訝そうな顔をして、「パパ、何もいないよ?どうかしたんじゃない??」と繰り返すだけだった。私はその蝶に似たものを指さしながら、「ほら、あそこ。ほら、飛んでる。」と部屋中をさまよい歩いた。
その蝶のようなものは、時々消えてはまた現れて、2~3分ほど部屋を飛び回り、そして忽然と消えた。
家族は、ただ不安げに私を見つめるだけだった。

 

しばらくして、通勤の車が迎えにやってきた。運転手は、アフリカ出身の敬虔なイスラム教徒である。
私は興奮冷めやらず、彼に先ほど起こった不思議な経験を、一気に話した。
すると、彼は驚きもせずに、こう言った。「Sir、それはイスラムの妖精ですよ。時々あることです。」
私は驚いた。「イスラムの世界に、妖精がいるのか?もしいるとして、何で突然私の前に現れたのか?」
運転手は言った。「それは分かりません。でも、Sirはラッキーです。めったに見られるものではありません。もしかしたら、Sirに興味を持ったのかもしれません。」

15~20分ほどで会社につき、私は現地法人のローカル役員に、同じ話をした。すると、彼も即座に答えた。「ああ、それはイスラムの妖精だよ。お前はラッキーだ。何も悪いことなんて起こらないから、心配するな。」

 

私は到底信じられなかったが、その後も周りが口を揃えて同じことを言うので、当時ようやくその国で開通したばかりのインターネットで調べてみた。そして、また驚いた。
イスラムの世界には、色々な妖精がいて、「ジン」と呼ばれているのだそうだ。確かに、ディズニー映画の「アラジン」にも登場している。
挿絵がいくつもあって、悪魔のような恐ろしい形相をしたものから、可愛らしい子どものようなものまで、様々だった。
そしてその中のひとつに、なんと私が朝見た、モジモジ君に似た蝶のようなものが、掲載されていたのだ!

私は、自分のことをかなり合理的な人間だと考えているが、このような説明のつかないことを、何度か経験している。
母も不思議な経験の持ち主で、何か遺伝的なものがあるのかと思ったこともあるが、かといって決して超常現象を信じているわけではない。
ただ、どうしても説明のつかないことが、世の中にはあるのだということは、信じざるを得ないのである。

Y.I.

2026.02.20 コラム

中国ぶらり旅―遼寧省(丹東)

今から30年前の話です。当時語学研修で北京にいた私は、研修先の大学で一人の中国人学生と知り合いました。
彼は中国遼寧省丹東の出身で、当時は大連外国語大学(日本語専攻)の3年生。
夏休みを利用して私がいた大学で事務のアルバイトをしていました。
その彼から「ぜひ私の故郷に遊びに来てください。」と誘われ、彼の実家に遊びに行くことに。
彼の故郷丹東は鴨緑江という川を挟んで北朝鮮と国境を接しており、多くの朝鮮族が暮らす東北を代表する町の一つです。
彼の家に着くと家族の皆さん(+彼のガールフレンド)が暖かく出迎えてくれました。
さらには、「外宾来了!(外国のお客さんが来たよ!)」とでも言って回ったのでしょうか、近所の人たちも大勢集まりその夜は私の歓迎会に。
(当時外国人が来るのは珍しかったようです。)
今夜はご馳走だ~とばかりに生の魚や貝類が次から次へと出てきました。
「さあ、さあ遠慮しないで。」と言われるのですが、実は当時中国各地でA型肝炎が大流行しており、原因は生の貝類と言われていました。
「この貝を食べたら肝炎間違いないな~、どうしよう。」さすがの私も怯みました。
しかし、わざわざ奮発して用意してくれたご馳走を食べないわけにもいかず、「ままよ!」清水の舞台から飛び降りる気持ちでいただくことに。
その代わり毒消しとばかりに52度の白酒をがぶ飲みしました。(これには何の科学的根拠もなく、単なる気合にすぎません。)
「先生、海量呀!(いい飲みっぷりだね!)」酒好きのおじ様たちから褒められ、「大和魂ここにあり!」といきがったものの、いつの間にか沈没。ベッドに横たわるマグロと化したのでした。

 

目が覚めた時は既に日が変わっていました。
帰りは丹東から大連までバスで移動。「♬田舎のバスはおんぼろ車、デコボコ道をガタゴト走る♬」の歌の通り、悪路のせいか途中でタイヤが2度もパンク(幸い事故にはならず)、バスの旅は実に10時間を要したのでした。
気のいい人たちと酒を酌み交わしながらの交流、牧歌的な風景に四方を囲まれてのバスの旅。それらを写した心の中のアルバムは今でも色褪せることはありません。

 

PS 幸いにして私は肝炎にはならずに済みました。

Y.S.

2026.02.06 コラム

ケルトの国―アイルランド小噺 《NHK朝ドラ”ばけばけ“:小泉八雲とアイルランド③ 》

現在NHK朝ドラで放映されている“ばけばけ”で小泉八雲をモデルにした主役の名はレフカダ・ヘブン。レフカダ・ヘブン役を演じている俳優が、トミー・バストウ。いまやお茶の間でも知られ始めているトミーだが、“ばけばけ”が始まるまでは、ほとんど日本では無名の役者さんだった。もともとトミーは、イギリスのロックバンド“FRANKO”でリードボーカルをしているプロミュージシャンでもあったが、俳優業も10代の若いころからかかわっている二刀流である。

 

俳優としては、唯一、日本で知られているとすれば、真田広之が主演、プロデューサーも兼任しエミー賞やゴールデングローブ賞などで数多くの授賞作品となったアメリカのテレビドラマ“SHOGUN”にポルトガル宣教師役で出演して、堪能な日本語で好演していることぐらいかもしれない。

筆者も“SHOGUN”に出ているトミーを見て、日本語の達者な良い役者さんだな、こういう役者が“ばけばけ”の主役になれば良いな、と思っていたら、なんと1767人の応募者によるオーディションの末、本当に主役に抜擢されたと聞いた時は正直腰が抜けるほどびっくりしたことを記憶している。何でも“SHOGUN”で共演していた日本の女優から“ばけばけ”のオーディションがあることを聞き、NHK橋爪プロデューサーに直接コンタクトして、オーディションに応募したらしい。

ちなみにトミーは、“ばけばけ”の次は、米国テレビドラマ“SHOGUN 2”への出演も決まっており、今後日本でも海外でも益々注目される俳優に成長していくことを確信している。

 

筆者は三回ほどトミーとはお会いしているが、本当にイケメンの人柄の良さを感じる好青年である。

トミーは、アイルランド人と想像する方もいると思うが、実際はイギリス人である。ただ、曾祖父がアイルランド人なので、アイルランド系のイギリス人と言うこともできる。

そういうトミーとアイルランドの関係は、NHKで昨年11月3日に放映された“ばけばけ トミー・バストウが巡るアイルランドとニューオリンズ” という番組でも取り上げられていて、実際に彼が小泉八雲が幼少期を過ごしたアイルランドのダブリンにある叔母の家の八雲の部屋だったところなども訪問している。(ご興味がある方は、NHKOneで1/10までこの番組を見ることができる。)

 

後程もう少し詳しく触れさせていただく小泉八雲とアイルランドとの深い関係やトミーとアイルランドの関係から、昨年3月15日(日)に東京の代々木公園で開催された“グリーンアイルランドフェスティバル” のメインステージでは、トミー・バストウとNHKの橋爪プロデューサーにも登壇いただいて挨拶・トークをしてもらったり、主演の高石あかりさんのビデオメッセージをいただくことができた。

 

ちなみに、「グリーンアイルランドフェスティバル」とは、アイルランドの国民的な祭日である”セント・パトリックデー”(3月17日)を日本でも祝って、毎年3月その日に近い週末に2日間代々木公園でアイルランドの音楽・ダンス、その他文化・スポーツ・グルメ他全般を紹介するイベントである。

例年10万人以上の来場者を迎えているアジア最大のアイルランドのショー・ケースとなるイベントで、本年は3月14日(土)-15日(日)2日間また代々木公園で開催される予定だが、今年は、開催し始めてからいよいよ10周年を迎える。筆者は、僭越ながら創設時よりこのイベントの実行委員長を務めてきているが、主催者としてはNHKさん、トミー、高石さんに大変に有難い協力をいただき感謝の言葉しかない。

 

さて、今回の稿でも、本題の小泉八雲とアイルランドの深い関係について触れずに終わってしまいそうだが、最後に“トミー・バストウ”ネタをもう一つご提供したい。
トミーは“ばけばけ”のヘブン役と違い、かなり堪能な日本語を話すが(“ばけばけ”でのあの片言の変な日本語はさぞ逆に苦労していると思われる。)、日本に来たことも学校で正式に習ったこともない彼がなぜ上手な日本語が話せるようになったか?

聞いたところによると、独学で日本語を学んでいた彼の日本語がうまくなった一因として、テレビドラマ“SHOGUN”のロケでカナダのバンクーバーに来ていた時に、たまたまお笑いコンビ“オアシズ”でかつて大久保佳代子さんとコンビを組んでいた光浦靖子さんが、バンクーバーに語学留学に来ていた時に知り合い、そこでお互いの言葉を教え合う‘語学交換‘をしていたことが影響しているらしい。なんとも面白いご縁である。

Y.T.

2026.01.23 コラム

ケルトの国―アイルランド小噺 《NHK朝ドラ”ばけばけ“:小泉八雲とアイルランド② 》

現在、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラで放映されている“ばけばけ”で小泉八雲をモデルにした主役の名はレフカダ・ヘブン。この名前の由来は、レフカダ(Lefcada)は、前回の投稿でご紹介した小泉八雲の生誕地の現在ギリシャのレフカダ島に由来していて、また古代ギリシャ語で「彷徨」という意味もあり、まさしく朝ドラでも描かれている小泉八雲の“さまよい人”としての彷徨の人生を象徴している名前となっている。

 

ちなみにオリジナル名のラフカディオ(Lafcadio)は、「レフカダ島の」を意味するギリシア語の英語訳で、ハーン(Hearn)の由来はラテン語の「漂泊」という言葉に由来するアイルランド系の姓でこちらも“さまよい人”の特性を表す語源で面白い。

 

また、ついでにこれもよく知られている話ではあるが、小泉八雲は日本では、「ヘルン先生」という愛称で呼ばれ、教師として教える生徒に大変に慕われていた。もともとは、日本での最初の滞在の場所となった島根県松江の島根尋常中学に英語教師として赴任した際に、辞令にHearn(ハーン)という英語の名前が、ヘルンと読み間違えて表記されたことから生徒や同僚がヘルン先生とかヘルンさんと呼ぶようになり、本人もその呼び名を気にいったことから定着するようになったらしい。

 

さらに名前で脱線すると、“ばけばけ”ヒロインの高石あかりさん演ずる「松野トキ」の名前の由来についても面白い情報がある。筆者が懇意にさせていただいている小泉八雲の曽孫で現在松江市の小泉八雲記念館の館長である小泉凡さんが、その由来を最近出版された著書「セツと八雲」(朝日新書)の中で次のように述べている。(筆者要約)

 

小泉八雲と小泉セツの二人は、出身が違う国で言語も異にすることから会話に大変に苦労して、コミュニケ―ションをスムーズにしていくために「ヘルン言葉」という独自の意思疎通の方法を編み出していく。それは、助詞(てにをは)を抜き、動詞や形容詞の活用もなく、語順は英語式というユニークなもの。

小泉八雲は、松江を手始めにその後、熊本、神戸、最後に東京とあちこち転居して“さすらい人”としての本領を発揮するが、最後の地、東京にいる時に、静岡の焼津がいたく気にいり、家族でたびたび焼津で過ごした。八雲が亡くなる前の最後の夏に焼津で過ごした時のこと、我が子にアイスクリームを買ってあげようと新橋駅で考えたが、汽車の出発まで時間がなくて買ってあげられなかったことを「ヘルン言葉」で“スタシオン ニ タクサン マツ  トキ アリマシタ ナイ” と表現した。

その言葉の一部を使って「松野トキ」という名前ができたとのこと。さすがに、小泉凡さん、朝ドラ“ばけばけ”制作に深くかかわっている方の貴重な情報である。

また、番組の中で、堤真一と北川景子が産みの親を演ずる雨清水(うしみず)家で生まれたので出生名が、「雨清水トキ(うしみず・とき)」、怪談好きのトキのイメージと「丑三つ時(うしみつどき)」を掛け合わせたダジャレネームだという説もどうやらあるようである。

 

さて、本題に入る前に本稿では、“ばけばけ”の命名談義で終わってしまったが、次回以降小泉八雲の生い立ちやアイルランドとの関係について簡単にご案内していきたい。
Y.T.

2026.01.09 コラム

中国ぶらり旅 ― 雲南省

今から15年程ほど前になりますが、北京駐在時代に中国の雲南省を訪れました。雲南省は中国の西南部に位置しミャンマーやラオスと国境を接した山岳地帯です。
省とはいっても面積は日本とほぼ同じ。そこに25の少数民族が暮らしています。昆明空港でタクシーをチャーターし、定番ですが、麗江、石林、大理等の観光名所を見て回ることにしました。
タクシーの運転手は見るからに人の良さそうな話好きの中年オジサン。道すがら「雲南省はまだ貧しい省だけれども昆明はまだいい。観光客が来てくれるから暮らし向きも他の地域に比べたらいいほうだ。」、「いつか日本に行ってみたい。」などなど。

一日目の観光を終えて明日もよろしくとお願いしたところで、オジサン何を思ったか「もし良かったら今夜私の家に来ないか。二日間チャーターしてくれたお礼に料理をご馳走したい。」と言い出しました。「まさか拉致されて身ぐるみはがされるんじゃないだろうな。。」という一抹の不安が一瞬頭をかすめましたが、いやこのオジサンに限ってそんなことはなかろうと話に乗ることに。

彼の家は市内から30分くらい走ったところにありました。オジサンの本業は農業で農閑期にタクシーの運転手をしているとのこと。家に着くと家族総出で迎えてくれてご馳走が山ほど。メインはさっきまで庭を走り回っていた鶏の料理。「ガ~ン!」私は鳥料理が大の苦手。「さあ遠慮なく。」と勧められるもののどうしても箸が動かず。仕方なく白酒をガンガン飲んでごまかすことに。家族全員皆良い人ばかりで、「一杯、一杯、再一杯!」宴会は大いに盛り上がったのでした。

楽しい宴もお開きの時間となったところで、オジサン「ホテルまで車で送っていく。」と言い出しました。「え~、しこたま飲んでもう出来上がってるじゃん!呂律回ってないよ。」正真正銘の酔っ払い運転。それを言うとオジサン曰く、「少し飲んだくらいの方が運転は冴えるんだ。」とこれまたむちゃくちゃなことをのたまう。ホテルに帰るにも他に足がないので仕方なく酔っ払い運転のタクシーでホテルに戻る羽目になったのでした。当然のこと車内で私の足はずっと突っ張ったままでした。

都会の喧騒と雑踏を離れ自然豊かな田舎で気の良い人たちとの異文化交流(かっこよく言うと)、都会では味わえない人情味と優しさを堪能した3日間の旅でした。

Y.S.

2025.12.26 コラム

ケルトの国―アイルランド小噺 《NHK朝ドラ”ばけばけ“:小泉八雲とアイルランド① 》

現在、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラで放映されている“ばけばけ”を視聴されているだろうか?
ご存じの方も多いと思うが、今回のヒロインのモデルは、小泉八雲(英語名:ラフカディオ・ハーン)の妻、小泉セツとなっていて、小泉八雲とセツの生い立ちから出会い、二人で手を取り合って素晴らしい歴史に残る文学の名作を作り上げていく過程を描いていくもので、従来にない斬新な演出で話題を呼んでいる。

 

この主人公である小泉八雲(英語名パトリック・ラフカディオ・ハーン)が、アイルランド人であることをご存知の方はどれ位いるだろうか?

詳しくは、また、今後ご案内していくが、小泉八雲は、日本ではギリシャ人とかイギリス人と学校で習うことが多い。しかし、その生い立ちや性格や作品から、アイルランド人と定義するのが最もふさわしいと思われ、実際にNHKでも歴史探偵などの番組で小泉八雲を取り上げた時は、アイルランド人の小泉八雲と紹介がされている。

ギリシャ人と呼ばれるのは、母親(ローザ・カシミティ)がギリシャ人で小泉八雲の生誕地が現在のギリシャのレフカド島であったこと(レフカダ島は生誕当時は、イギリスの保護領)によるが、ギリシャに住んだのは、きわめて短期間で生まれてから幼児の2歳までとほとんど記憶が残らない時代なので、ギリシャの影響は極めて限定的と言うことができる。

また、父親(チャールズ・ブッシュ・ハーン)は、アイルランドダブリン出身のアイルランド人であるが、当時アイルランドは、イギリスの統治下にあり自然とイギリス人と称されることも多く、また父親がイギリス軍の軍医をしていたことも影響していると思われる。

 

小泉八雲とアイルランドの関係については、今後もう少し深くご案内するが、NHK朝ドラ“ばけばけ”について少し触れると、筆者は、小泉八雲とアイルランドの深い関係からこのNHK朝ドラ“ばけばけ”にアイルランドとの関係で関与しており、この番組のNHKプロデューサーの橋爪國臣氏(大河ドラマ“青天を衝け”、朝ドラ”ブギウギ“などプロデューした期待の若手プロデューサー)とは懇意にさせていただいている。
例えば、アイルランド首相が今年6月に来日した時に、大阪万博のアイルランドパビリオンでのレセプションで初めて”ばけばけ“の予告編を本邦初で放映してくれるなど大変にアイルランドに理解のある御仁である。

 

橋爪プロデューサーのご招待で、一度大阪城の近くにあるNHK大阪放送局にある“ばけばけ”の録画スタジオを訪問させてもらって、実際のロケ風景を見学するという貴重な経験をさせてもらったが、NHKの朝ドラ、特に今回の“ばけばけ”にかける意気込みとこだわりを目の当たりにさせてもらい感動したことを今でも思い起こす。毎朝、定番に番組に出てくる主演の松野トキ(小泉セツがモデルとなっているヒロインで高石あかりさんが主演)の実家のこだわった作りこみ方や、大河を思わせる映像を作りこんでいく過程、常時100人以上のスタッフ(方言指導だけでも常時2-3人もいるなど)で収録していく様は圧巻であり、主演や準主演の俳優の方々を身近に見たり挨拶することもでき、今回の朝ドラがさらに身近になるきっかけともなった。

 

余談が長くなったが、これから、小泉八雲の人生、アイルランドとの関係や、どのように影響を受けたか、また小泉八雲とセツがどのように出会い、今も続いている小泉家を形作っていったかについてご案内していきたい。

Y.T.

 

2025.09.19 コラム

中国に名医あり -その2-

前回に続き今回は眼科医の話です。
今からちょうど四半世紀前、2001年の春私は北京のとある眼科医院で近視の矯正手術(所謂「レーシック手術」)を受けました。
当時日本ではまだそれほど普及していなかったレーシック手術でしたが、私がいた北京にはいち早くその技術を身に付け多くの臨床例を誇る名医がいました。手術でレーザーを使う点は今と同じですが、当時の手術方法は今ほど簡単ではなく次のような工程で行われていました。

 

①眼球の外壁を覆っている角膜を引っ掻き棒のようなもので眼球から剥す
②眼球を丸裸にしてからレーザーを照射
③レーザー照射後、剥した角膜を元のように眼球に張り付ける
④角膜が眼球に付着するまでの間保護用コンタクトレンズを装着
⑤一週間後コンタクトレンズを外す、概ねこういう流れでした。
私はVIP患者として院長(Dr. 胡)に手術をしてもらいましたが、彼はテレビにも時々顔を出す有名な眼科医でした。
手術が無事成功したことはもちろん、私の視力は25年経った今でも術後の1.0をキープしています。

 

ところでこの手術には後日談があります。
当時私は中国総代表として北京に駐在していましたが、当時の中国拠点は駐在員事務所で、営業行為あるいは営業類似行為は一切できません。
情報収集、人脈作りが主なミッションでした。ところがある事務所で営業類似行為があったという指摘を受け、当時の監督官庁である中国保険監督管理委員会(日本でいう金融庁)から呼び出しを受けました。レーシック手術のわずか3日後のことです。
「これはまずい!営業免許活動に影響するのは必至だ。」目の痛みも忘れるほどの一大事。
実は手術前に説明を受けていたのですが、術後しばらくは目の腫れと涙が続くとのこと。その説明の通り術後両目は腫れずっと涙が出続けていて、呼び出された日もずっと涙目でした。担当係官からいろいろ事情を聞かれている間もずっとハンカチで涙を拭いている状態。
そんな姿を見て係官は「素直に非を認めいたく反省しているようだ。」とでも思ったのでしょうか、最終的には「口頭注意」という極めて軽い処分で済みました。
その後流れた涙の中には嬉し涙も混じっていたかもしれません。
男の涙はあまり絵になりませんが、こんな効用もあったのではと今でも思っています。

Y.S.