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2023.11.24 コラム

欲望という名の電車

子どもの頃、あちこちに名画座があり、一昔前の洋画のリバイバル上映を行っていた。
そしてそれらを宣伝するためのポスターが掲示されていた。
「エデンの東」、「風と共に去りぬ」、「ローマの休日」など、
今でも名作と呼ばれる作品のポスターの中に「欲望という名の電車」という如何にも刺激的なタイトルのものがあった。
電車オタクの子どもであったその頃、「欲望という名の電車」の意味が分からず、
かと言って名画座でその映画を鑑賞する勇気もお金もなかったのでただただ想像するばかりであったが、
考えれば考えるほど「欲望という名の電車」の正体を解明することが出来ず謎は深まるばかりであった。

 

月日が流れ、大人になってその謎が解けた。
「欲望という名の電車」の原題は “A STREETCAR NAMED DESIRE” であり、
かつてニューオーリンズのDESIRE STREETを走っていた路面電車の路線名称であることが分かった。
テネシーウィリアムズの戯曲をエリアカザンが映画化し、
ヴィヴィアンリーやマーロンブランドといった名優が演じたこの映画は同性愛やレイプ、メンタル問題を取り上げ、
当時としてはセンセーショナルな内容であった。
映画は主人公のブランチが「Desire(欲望)」行きの路面電車に乗って途中「Cemetry(墓地)」行きの電車の乗り換え、
「Elysian Fields(極楽)」で降りるという興味深い始まり方をするのだが、これらはいずれも実在した、または今でも実在している。

 

因みに筆者が30年ほど前にニューオーリンズを訪れた際、土産に DESIRE線の陶器絵を購入したのを覚えている。
家のどこかにあるはずだが。
T.H.

2023.11.10 コラム

中国の故事に学ぶ 「花も恥じらう乙女」

「花も恥じらう乙女」とは、うら若く美しい女性を形容する言葉ですが、この「花も恥じらう」という言い方はどこからきているのでしょう。

話は今から1400年あまり前、中国の唐の時代に遡ります。
みなさん楊貴妃といえば中国四大美女の一人と称されることはご存じかと思います。
彼女に目が眩み寵愛した玄宗皇帝は国政を疎かにし、それがために国が乱れ安史の乱が起きます。
国を傾けた原因は彼女にありということで「傾国の美女」とも称されます。
実は楊貴妃というのは本名ではなく、彼女の本名は楊玉環と言います。
楊貴妃の貴妃は皇妃の順位を表す称号です。(ちなみにNo1は皇后、No2が貴妃)

 

本題に入りましょう。ある日彼女が宮中の花園を歩いている時、咲き誇る花に話しかけそして優しく触れました。
そうするとどうでしょう、花はみるみるうちに萎み下を向いてしまいました。
その様子を見ていた宮女たちは「花たちも彼女の美しさに恥じらい頭を下げた」と口々に言い立てたのです。
「花も恥じらう」という言い方はここからきています。

 

中国の女性というとすらりとした体型をイメージしますが、唐の時代はふくよかな女性が好まれたようで、
彼女も例外ではなくかなりふくよかな女性だったようです。
確かに彼女の像はみな豊満な姿をしています。
俗説ですが、彼女の唯一の欠点は腋臭であったとか。
これもふくよかであったせいでしょうか。

Y.S.

2023.10.27 コラム

中国の故事に学ぶ 「枕石漱水」

中国の故事に「枕石漱水」という一編の詩があります。
「石を枕にし、水で口をすすぐ」と読み、
「石を枕にして眠り、川の流れで口をすすぐような俗世間から離れた隠遁生活を送る」という意味です。

 

中国の晋の時代に孫楚(そんそ)という人がいました。
友人に「もう隠居したい」という気持ちを伝えるためにこの詩を引用して話をしました。
しかし順番を間違えて「漱石枕流」と言ってしまったのです。
これでは「石で口をすすいで、川の流れを枕にする」という意味になってしまいます。
これを聞いた友人は笑いながら「石で口をすすいで川の流れを枕にするなんて一体どういう隠遁生活なんだい。」と突っ込みます。
突っ込まれた孫楚は「しまった!」と思ったのですが、自分のメンツのために言い間違いを認めずこう言い返します。
「石で口をすすぐのは歯を磨くため、川の流れを枕にするのは水で耳の中を洗うためだ。」これはどう見ても苦し紛れの屁理屈です。
「漱石枕流」には負け惜しみ、頑固者という意味があります。

 

皆さん、ここに出てきた「漱石」で何か思い当たりませんか。
そうです、かの文豪夏目漱石は自分のことをかなりの頑固者、偏屈者と思っていたようで、
この故事からペンネームを夏目漱石(本名:夏目金之助)としたそうです。

Y.S.

2023.10.13 コラム

砂に書いたラブレター

「一通の手紙があります」「沢山の手紙があります」を英語にすると、”There is a letter” ”There are many letters”と、
日本語にはない単数と複数の使い分けがあります。
英語は単数/複数によって動詞が変化したり、代名詞がit/theyになったりします。
それ故、英文を作るときには単数/複数、それに伴う動詞の変化などに気を遣う必要があります。

 

「砂に書いたラブレター」という曲をご存知でしょうか?
1960年ごろパット・ブーンという歌手が歌って流行った曲です。
先日レストランのBGMで流れていて、久しぶりに聴きました。

砂に書いたラブレターが波で壊されてゆく…と歌っているのですが、その歌詞を聴いていると「Love letters …」と聴こえ、letterは複数。
砂浜にそんなに多くのラブレターを書けたのだろうか、と疑問が湧きました。

 

調べてみると、原題は”Love letters in the sand”でletterはやはり複数。
但し、このLetterは手紙ではなく文字を意味しているとのこと。恋文ではなく恋文字ということです。
アルファベットの大文字は英語でCapital Letter、小文字をSmall letterと言いますが、このLetterの使い方です。
砂浜にL.O.V.E.と4文字書けば、これでLove letters。
長年ラブレター(恋文)の歌と思っていたのが、誤解であることがわかりました。

 

因みにこの曲は1931年(昭和6年)に作曲され、それが1960年ごろカバーされてヒットしたのですが、
1930年代に日本にも紹介されていたそうです。
その時の邦題は「恋の砂文字」。
当時は忠実に英語を訳していたようです。

J.G.

2023.09.29 コラム

中国の故事に学ぶ 「先ず隗より始めよ」

日本では「人にあれこれ言う前に先ず自分が行動せよ」という意味で使われますが、中国では意味が違います。
どういう違いなのかその語源から紐解いてみましょう。

 

戦国時代、燕の国王が家臣の郭隗(カク・カイ)にこう聞きました。
「国を治めるために賢者を集めたい。どうすれば私のところに来てくれるだろうか。」
これに対し郭隗はこう答えました。
「昔、ある王様が大金を出し使用人に駿馬を買いに行かせました。
ところがその使用人はこともあろうに死んだ馬の骨を買って帰ってきたのです。
王は怒りましたが、彼は『死んだ馬の骨でさえこんな大金を出すのなら、
それを聞いた人は生きている馬ならもっと高く買うに違いないと思うに違いありません。
駿馬はすぐに手に入りましょう。』
やがて本当に三頭の駿馬が手に入りました。
王が是非とも賢者を招きたいと思われるのであれば、先ず凡庸な私、隗からお始めください。
さすれば私より優れた者が千里の道をも厭わず王に仕えるためにやってきましょうぞ。」
こう言われた王は郭隗の言葉を信じ彼を手厚くもてなしました。
そうすると賢者たちが先を争って燕にやってくるようになったということです。

 

これは「権謀術数」の話であり、中国語では「自分を売り込む」という意味の成語です。
こうしたロジックを駆使できるというのは今の中国人のDNAにも引き継がれているような気がします。
誠実さと謙虚さを旨とする日本人には真似ができないことかもしれませんね。

Y.S.

2023.09.15 コラム

ロンドンの排ガス規制

先日の英国BBCニュースで、ロンドンの大気汚染対策の一つである「超低排出規制ゾーン」(Ultra Low Emission Zone,略してULEZ)の
対象範囲が拡大した(ロンドン中心部からロンドン全体へ)という報道がありました。
この規制は、2019年より導入されているもので、新たな排ガス規制を満たさない車やバイクがロンドンの対象地域に乗り入れる場合、
1日当り乗用車なら12.5ポンド(約2,300円)を支払うという規制です。
これは現在の混雑税(Congestion Charge)15ポンドに加えて支払う必要があるので、
排ガス基準を満たさない古い車でロンドンに乗り入れる場合、
1日当り27.5ポンド(約5,000円)を支払わなくてはならないことになります。

 

これで思い出すのが、私がロンドンに駐在していた時に導入された、上記の混雑税です。
渋滞緩和と大気汚染緩和のために2003年2月に導入された規制で、市の中心部に車を乗り入れる際、
1日当り5ポンド(当時)支払わなくてはなりません。
仕事で社有車を使う場合、予め(あるいはその日中に)コンビニや郵便局で5ポンドを支払います。
支払い忘れると、罰金は40ポンド(当時。現在は160ポンド)。
導入された当時は、イギリスの公共サービスのレベルは低く、どうせこんな規制を作っても、実務が伴わず、
忘れても大丈夫だろうなんて高を括っていたら、支払いを忘れる度に、きっちり罰金40ポンドの請求書が来たのには驚きました。
しかも個人責任なので会社は補填してくれません。
会社に届いた罰金の請求書を、秘書が嬉しそうにヒラヒラさせながら、「今回は誰かしら?」と営業部にやってくる光景が忘れられません。
しかし考えてみれば、英国は諜報活動の伝統があるOO7の国。
ロンドン市街では多くの防犯カメラや交通カメラが設置されており、
車のナンバーと混雑税の支払い実績を照合するシステムなどお手のものだったのかもしれません。
当時、あなたが家をでてから地下鉄で会社に着くまで、恐らく30枚くらい写真に撮られているはずと言われたことを思い出します。

しかし、上記の規制は、経済活動を犠牲にしてまで市街地の車の規制をしようという英国の本気度を感じますが、
さて日本でこのような規制が導入できるでしょうか?

J.I.

2023.09.01 コラム

ラグビーワールドカップ(W杯)とその歴史(2)

前回のコラムで書いた通り、ラグビーは長らく南半球の国々が圧倒的に強く、
これまでのW杯の優勝国もNZ代表と南アフリカ代表がそれぞれ3回、オーストラリア代表が2回で、
北半球は2003年にイングランド代表が1回優勝しただけです。

特にNZ代表(通称オールブラックス)は、その真っ黒なユニホームと、試合の前に行うハカ(NZの先住民族マオリ族の踊り)、
そして何より世界最強の名を欲しいままにしてきたその強さで非常に有名です。
日本でも人気があり、オールブラックスが来日して試合をすればチケットは即売り切れになる状況ですので、ご存じの方も多いと思います。

また、2019年W杯で優勝した南アフリカ(通称スプリングボクス)も古くからオールブラックスと並ぶ強豪国として
ラグビー界に君臨しています。

オーストラリアはここ数年不調が続いていますが、かつては隣国NZのライバル国としてしのぎを削っていました。

 

ところがこのような南半球優勢の勢力図が近年変化してきており、北半球と南半球との実力差が縮まってきています。
2019年W杯の準決勝でもイングランドが優勝候補筆頭だったオールブラックスに勝利しましたし、
W杯以外で行われる毎年の代表チーム間の試合においても、たとえばかつては全くオールブラックスに歯が立たなかったアイルランド代表が、
初対戦(1905年)から実に111年を経て2016年にはじめてオールブラックスに勝利し、その後も何度か勝利を重ねたりしています。
今年のW杯の優勝候補にはもちろん常連のオールブラックスや南アフリカが含まれていますが、
実は優勝候補筆頭はアイルランドと開催国フランスという北半球の国で、もし今回これら北半球の国が優勝すれば、
北半球に20年ぶり2回目のウェブ・エリスカップをもたらすという歴史的な大会となります。

もちろん日本代表の活躍も気になるところではありますが、このような歴史的背景をふまえながらW杯を観戦いただくことで
さらにW杯を楽しんでいただければ、筆者としては幸いです。

 

ちなみに筆者は開幕戦(フランス対オールブラックスという大一番)を現地に観戦に行く予定で、
第1回W杯以来のオールブラックスファンである筆者としては本来オールブラックスを応援すべきなのですが、
今回ばかりは北半球に肩入れし、開催国フランスを応援するつもりでいます。
そしてアイルランドかフランスが優勝することを願っていますが、果たしてどうなることか・・・。

E.O.

2023.08.18 コラム

ラグビーワールドカップ(W杯)とその歴史(1)

2019年に日本で開催されたラグビーのW杯について、日本代表の快進撃もあり国中が沸いたことをご記憶されている方もいらっしゃると
思いますが、早いものであれから4年経ち、次のW杯が今年の9月から10月にかけてフランスで開催されます。

 

ラグビーは、1823年にイングランドのラグビー校で、ウィリアム・ウェブ・エリスという生徒がフットボール
(サッカーの原形でもあるスポーツ)の試合中に突然ボールを手に持って走り出したのが起源と言われています。
(ちなみにW杯優勝国に贈られる優勝カップもウェブ・エリスカップという名前です。)

ラグビーはその後1800年代後半にはイングランド、スコットランド、ウエールズといったイギリス各地域やフランス等に広まり、
さらにオーストラリア、ニュージーランド(以下「NZ」)、南アフリカといったイギリス植民地にも広まっていきました。

これらの国・地域の間では、代表チーム同士がお互いの国・地域を行き来しての試合が定期的に行われていましたが、
サッカーのW杯が1930年に始まり、その成功によりラグビー界でもW杯を開催しようという声が上がり始めました。
特に当時、ラグビー発祥の北半球の国・地域よりすでに実力では上回るようになっていた南半球の国々は、
「自分たちこそラグビーの王者である=世界一の国を決めたい」という要望を持っていました。
しかし結局ラグビーW杯が初めて開催されたのは1987年(NZ・オーストラリア共催)、今年のフランス大会はまだ10回目と、
ラグビー自体の歴史に比べるとW杯の歴史は非常に浅いといえるでしょう。

これは、ラグビー発祥の地とのプライドを持つイングランド等がラグビー精神の重要な要素としてアマチュアリズムを重視する傾向があり、
商業主義的な(さらには自分達が優勝できないであろう)W杯開催に反対したためと言われています。
ただラグビーも時代の流れには逆らえず、ついに1987年に第1回W杯が開催されるに至ったのです。
そして1990年代の途中からはラグビーもプロ化し、今やラグビーW杯はオリンピック・サッカーW杯に次ぐ
世界3大スポーツ大会の一つと言われるまでに発展しました。

E.O.

2023.08.04 コラム

New Yorkでの危機管理

毎年8月になると「あれから何年…」と御巣鷹山ジャンボ機墜落のニュースが流れます。
乗客乗員520名が亡くなった事故は1985年8月12日に発生しました。その前日の8月11日に私は初めての海外駐在地NYに赴任しました。
翌日オフィスに出て、日系新聞の一面記事でジャンボ機墜落を知り、「自分が乗ってきたジャンボ機じゃなくて良かった」と思ったのですが、
後に国内便と海外便のジャンボ機は仕様が異なり、自分がこの事故機に乗ることはなかったことを知りました。

 

当時のマンハッタンは、夜になるといつもサイレンを鳴らしたパトカーが走り回り、42丁目にはドラッグのバイヤーがウロウロし、
所々に警官が集まり目を光らせているという状況でした。
先輩駐在員からは、先ずスリに気を付けること、それに歩道を歩くときは建物側ではなくて車道側を歩くこと、
これは建物の陰から急に物取りが出てきたりすることがあるからです。
更に夜遅く、一人で歩道を歩いていて、向こう側から人が来たら、すれ違う前に道路の反対側に渡ること等を教わりました。

 

駐在生活にも慣れたころ、マンハッタンで食事をし、遅くなったのでタクシーで帰ろうと五番街の歩道を一人で歩いていたときのことです。
向こうの方から男性が歩いて来るのが分かりました。
先輩駐在員から聞いた状況が迫って来て、道の反対側に渡ろうか逡巡していたのですが、その時です。
向こうから歩いてきた男性が道の反対側に渡ったのです。
先輩駐在員の忠告は、皆が知っているのだなあ…と感心すると同時に、自分がそんなに怪しく見えるのか?と、
タクシーの中で考えながら家に帰りました。

J.G.

2023.07.21 コラム

似是而非(似て非なるもの)

一昔前の話です。
初めて日本に観光旅行に来た中国人のA氏、東京の街中をぶらぶら歩いていてあることに気が付きました。
街のあちらこちらに「麻雀」の看板が。それを目にした彼は「日本人はこんなにもスズメ料理が好きなのか!?」と驚いたとか。
そう、中国語ではスズメのことを「麻雀」と書きます。彼はその看板を見て雀荘をスズメ料理の店と勘違いしたのです。
無理もないですね、ちなみにマージャンのことは中国語で「麻将」と書きます。

 

日本と中国は同じ漢字文化ですが、この話と同様、同じ表記でも意味が全く違うものが少なくありません。
代表的なものをいくつかご紹介しましょう。
「暗算」…日本語では「頭の中で計算する」ことですが、中国語では「悪だくみ」という意味です。
「暗」はこっそりと、「算」はもくろむという意味で、この二つの漢字が合わさって「悪だくみ」という意味で使われます。
他にも、「床」…日本語では「floor」ですが、中国語では「bed」のこと。
「走」…日本語では「run」ですが、中国語では「walk」のことです。
最後に「怪我」…日本語では「ケガ」のことですが、中国語では「私が悪い。私の責任」という意味です。
事故防止のため職場の壁に「注意一秒、怪我一生」という標語が貼ってある町工場が今でもあるかと思います。
これを中国語に訳すと「ちょっとした注意、一生涯私の責任」となります。
これも似て非なるものですね。

Y.S.