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2024.05.24 コラム

「神田川」

50年も前の話ですので、若い方にはピンと来ないと思いますが、
その頃「かぐや姫」というフォークグループの「神田川」という歌が流行っていました。
この歌は作詞家の喜多條忠が、早稲田大学在学中に恋人と神田川近くのアパートで暮らした思い出を歌詞にしたもので、
当時の貧乏学生の心を掴んだ作品でした。
「三畳一間の小さな下宿」や「二人で行った横町の風呂屋」、「24色のクレパス」、「窓の下には神田川」など、
印象的なフレーズが織り込まれた歌詞と南こうせつが作曲したメロディーが見事に調和した昭和を代表する楽曲です。

 

筆者も実は学生時代、窓を見下ろすと神田川が流れる下宿に住んでいた経験があり、近所の銭湯に通う日々でした。
それだけにこの曲には非常に親近感があり、今でも神田川を見るとその当時を思い出します。

 

筆者の学生時代の現実とこの曲の歌詞との大きな違いは、
かぐや姫の神田川は高田馬場近辺の描写であるのに対して筆者の神田川は杉並区久我山の流域を指している点と、
その当時、「風呂屋」の外で筆者を待っている女性はいなかったことです。
それでも井の頭線が下宿の横を通ると部屋がガタガタ揺れたし、赤ちょうちんのおでんはごちそうでした。
まさにバブル前夜の日本の転換点といった時代だったように思います。

T.H.

2024.05.10 コラム

イギリスは4つの国の連合王国

イギリスを構成する4つの国の成立経緯に焦点を当てて歴史を振り返ると、以下のようになります。

 

イギリスのブリテン島には紀元前7世紀ごろからケルト系の諸族が定住。
その後ローマ帝国の支配を経て、5世紀ごろ、アングロサクソン人が西北ドイツから押し寄せ、
ケルト系の諸族をブリテン島の周辺部(現在のスコットランドやウエールズ)に追いやり、イングランド王国を形成。
その後16世紀にはウエールズを統合。
スコットランドはイングランドと争いを続けたが、1603年、共通の国王を戴く同君連合を結成。
1707年、スコットランドは議会を廃止し、イングランドと一つの王国として統一された(グレートブリテン王国)。
その後もスコットランドは独自の司法、教育制度、国教会、通貨を維持するNationであり続けている。
このNationの位置づけはウエールズ、北アイルランドも同様。

 

アイルランドはブリテン島の西に位置する島で、1801年にグレートブリテン王国に併合されたが、1922年アイルランド自由国が樹立され、
主に宗教的な理由でそれに反対する北アイルランドがグレートブリテン王国に残った経緯がある。
(従ってイギリスは、1801年から1922年までは、United Kingdom of Great Britain and Ireland
1922年以降はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandと呼ばれている)

 

このような経緯でできたイギリスは、イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドの4つのNationの連合体である。
Nationとは、言語や文化、歴史を共有し、民族的、社会的同質性を持つ共同体と定義されている。
イギリスではスポーツとナショナリズムが明確に結びついており、例えばイギリスはサッカーの母国であり、
国際サッカー連盟(FIFA)の設立以前から4つのNationがそれぞれ連盟を持っていたので、
今でも4つのNationごとにナショナルチームが認められている。
ラグビーも同様である。
なお、オリンピックは、イギリス全体で単一の委員会を設立しているため、イギリス代表で参加している。

 

歴史的経緯は以上ですが、イギリスには4つの国があるといっても、それぞれパスポートを求められる訳ではなく、
普段は1つの国で生活しているのと変わりません。
しかし、イギリスを旅行してみると、スコットランドで聞く英語は独特であり、
ウエールズでは、ウエールズ語を話す人は少ないにもかかわらず、
道路、鉄道、ホテルの標示は全て英語とウエールズ語の2言語併記になっているなど、やはり文化の違う国に来たという感想を持ちます。

J.I.

2024.04.19 コラム

現代若者事情:中国の「45度青年」

ここ何年か中国の若者の間で「内巻(ネイジュエン)」と「躺平(タンピン)」という二つの異なる生き方を表す言葉が流行していた。
「内巻」とは組織内で内向きで不要な激しい競争に巻き込まれるという意味で、
職場などで非合理的な競争が繰り返されている状況を表す言葉である。
一方、「躺平」は中国語では「寝そべる、横たわる」という意味で、
そこから転じて、頑張らない、競争しない、欲張らない、最低限の生活で満足し心静かに暮らすという状況を表す言葉である。
多くの若者が「躺平」のような生き方を志向し中国では大きな社会現象となった。
この両極端な生き方に割って入る形で、最近になって「45度青年」という新語が登場してきた。
この言葉の意味は、現実の生活において競争に完全に巻き込まれることも、そこから完全に逃避することもなく、
45度の姿勢を保って生きていこうということである。
0度が完全に寝そべることを指すとすれば、90度は逆に激しい競争に巻き込まれることを指し、
45度はちょうどその中間に位置していることになる。
つまり45度の姿勢はストイックに競争に参加することもなければ完全にだらけてしまうこともなく、
ほど良いバランスを保って生きていこうという生き方を表している。
最近ではこうした生き方に多くの若者たちが共感を覚えているらしい。

 

中国の若者の実態を見ると、口では「寝そべっている」とは言っていても、実際の生活ではしっかりと競争に立ち向かっており、
心の中では「人並み」の暮らしに甘んじたくはないと考えている者は多い。
競争には勝ちたいと思ってはいるものの、強いストレスやあまりに熾烈な競争に耐えられず、
2つの両極端の間を行ったり来たりしている若者が多いというのが実態だろう。
「45度青年」という自嘲気味な言い方には、中国の多くの若者が抱える強烈なストレスとジレンマが詰まっているように感じる。

Y.S.

2024.03.15 コラム

「君たちはどう生きるか」を観て、読んで

宮崎駿の最新アニメ「君たちはどう生きるか」がアカデミー賞の長編アニメ賞をとったというニュースが流れました。
このアニメは、昨年夏に封切られましたが、大々的な前宣伝もなく、映画館が賑わったという報道もなく、
何ともインパクトの少ない受賞だった印象があります。

 

実はわたくし、この映画のタイトルが、戦時中に出版された本の題名から採られたものだということを聞いて興味が湧き、
去る2月初旬に映画館に観に行きました。観客は我々夫婦とあと2人。ブームはとっくに過ぎたんだなと思いました。

 

アニメの主人公は10才くらいの少年。
最初は、戦時中の裕福な疎開先の暮らしがリアルな細かさで描写されるのに圧倒されましたが、
その内にジブリらしいファンタジーの世界が始まり、画面は目まぐるしく展開し、
亡くなった母の若い頃に出会い、そして現実世界に戻ってくる。
その中に、一瞬だけ、死んだ母から贈られた「君たちはどう生きるか」という本を主人公が読んでいる場面があります。
アニメを観ている限り、このアニメと本の繋がりは、この場面だけです。

 

なぜアニメに、戦時中の本の題名、しかも哲学的なタイトルをつけたのだろう?と思って、後からネットでこのアニメの評価を読むと、
宮崎駿のアニメは「不完全な世界を肯定し、苦しみの中で仲間や喜びをみつけながら生きていくことの大切さ」
というテーマが一貫していると書かれていました。
そう言われてみるとこのアニメも、母を失った寂しさと、疎開先の生活に馴染めない少年が、
不思議な世界に紛れ込んで色々なことに出会ううちに気持ちが晴れて、
前向きな自分になって現実の世界に戻ってくるという感じになっています。

 

その後、岩波文庫になっている本も読んでみました。
盧溝橋事件が勃発した1937年に吉野源三郎という児童文学者が書いた本で、このアニメと似たような話かなと思ったら全く違う話で、
戦時中の(時代設定だけはアニメとだいたい同じ)街の少年が友人との色々な事件を通して成長していく話です。
しかし、ストーリーは上記のアニメとは違っても、不完全な世界というか不完全な自分に悩みつつも、
色々な事件をきっかけに逞しく成長していくという、
宮崎アニメと同じようなテーマがベースとなっています。
アニメと本を観て読んで、宮崎駿の頭には、母の温もりと共に常にこの本に書かれたテーマがあって、
アニメを通してそれを訴え続けたんだな、その集大成として、このアニメは宮崎駿の遺書なんだと感じた次第です。
しかし、恐らく本までは読んでいない海外の人たちを、アニメでここまで魅了する宮崎作品は、
やはり凄い力を持った芸術作品なのだなと思った次第です。

J.I.

2024.03.08 コラム

不適切にもほどがなかった?

今クール放映中のテレビドラマに「不適切にもほどがある!」という如何にもキャッチーなタイトルのものがあり、
宮藤官九郎氏の脚本であることを知ったので視聴することにした。

 

ドラマはコンプライアンスとは縁もゆかりも全くない昭和時代の熱血教師(阿部サダヲさん)が主人公。
この昭和のおじさんが現代にタイムスリップし、逆に令和の母と息子が昭和にタイムスリップして巻き起こす悲喜こもごもの物語である。
タイムトラベルを題材とした物語は「バックトゥザフューチャー」をはじめ、数多く存在するが、
コンプライアンスを絡ませたものには初めて出会った。

 

そう言えば、筆者が某保険会社に新入社員として入社したころ、オフィスのデスクには灰皿が置いてあり、普通に紙たばこを吸っていた。
会社の上司からは「嘘をついてはいけないが本当のことも言わなくて良い」などと分かるような分からないようなことを言われた。
「盗んだバイクで走り出す」といった歌詞のついた流行歌がヒットし、カラオケでは上司が新人の女性社員を横に座らせた。
「自爆」というノルマ達成のための自己犠牲が存在した。

「コンプライアンス」という英語は存在していたとは思うが、昭和にはその意味を知る者はいなかった。
当時の感覚でも「アウト」とされることもあったのだろうが、大目に見られる大らかな時代であった。

 

バブルで頭の中も沸騰していたあの時代。
あの時代に戻ることは出来ないかもしれないが、あの時代を懐古し、ほくそ笑む筆者は「不適切」なのだろうか?

T.H.

2024.02.22 コラム

中国:今昔物語

今は昔、1980年代後半から1990年代初頭の中国で私が経験したあれやこれやを徒然なるままにご紹介いたします。

 

①3A(スリー・エー)
当時の中国は何をするにも物事が前に進まず、約束は守られず、何かにつけて言い訳を聞かされることばかりでした。
我々駐在員の中での合言葉は「あせらず・あわてず・あきらめず」。それだけでは足りない。
そう感じた私は更にそこにもう一つAを付け加えました。それは「あてにせず」。

 

②OKY
中国側とビジネスの話や相談事をすると決まって言われたのが、「没問題(=問題ない)」というフレーズ。
これで事がトントン拍子に進むかと思いきや、待てども待てども話は前に進まず、まさに「百年河清を待つ」の状況に。
そうした現地の事情を理解できない本社の面々は「何をもたもたしてるんだ!」とお怒りの体。
わかってないな~、ここは日本と違うんですよ。
そして心の中でこう呟いたものです。「O(おまえ)K(きて)Y(やってみろ)」

 

③横断歩道は赤信号で渡れ
横断歩道は青信号で渡るのが世界の常識ですが、当時の中国では青信号だからといって左右を確認もせずボーとして渡っていると
信号無視の車にはねられることはよくあった話。
その頃の中国は車優先社会で、車の運転手は信号などまともに見ていません。
青信号だからといって安心せず、赤信号の時にこそ左右をしっかり確認して渡るほうがずっと安全。これも一理あり。

 

④百貨店の靴売り場
ある日百貨店の靴売り場に行ってみると、陳列棚には靴の片方しか置いてありません。
「あれ?もう片方はどうしたの。」店員に聞いてみたところ、その店員曰く、
「両方揃えて並べて置いておいたらだまって持っていかれてしまうでしょう。」..「あ、そういうこと。」
これぞ究極の万引き防止策と合点がいった次第。

Y.S.

2024.02.13 コラム

中国の働き方「996」

中国の巷で言われる「996」という言葉をご存じでしょうか。
これは「午前9時から午後9時まで週6日出勤」という勤務体制のことをいいます。
また、「996.ICU」といういい方もあります。
これは「996」の過酷な労働環境の下で体調を崩した労働者がICU(集中治療室)に運ばれると揶揄したものです。
いずれも中国の民間企業、特にIT関連企業で長時間労働が常態化していることを指しています。

 

電子商取引大手のアリババ集団の創業者馬雲(ジャック・マー)は、社内の会議で「『996』で働けることは幸せなことであり、
むしろ誇りに思うべきだ。他人を超える努力や時間を費やさなければ自分が望む成功を手にできるだろうか」と語り、
長時間労働を容認する姿勢を見せました。
この発言は大きな波紋を呼び、企業経営者としてまことに身勝手な考え方だと大バッシングを受けることになります。

 

私が北京駐在だった時もこれに似た人物がいました。
業務提携先の会社の会長は寝食を忘れて仕事に打ち込む人で、
その働きぶりを見ていると誰しもが「この人は一体いつ寝ているんだろう」と思ったものです。
平成元年に日本の栄養ドリンクのCMで流れていた「24時間戦えますか」を地でいくような人でした。
その猛烈ぶりに何人もの幹部が身体を壊したり彼の元を去っていったりしました。

 

中国のビジネスエリートたちは我々の想像を遥かに超えるエネルギーとバイタリティーを持ち、常在戦場の中に身を置いていると感じます。
「人に使われるのではなく、人を使う者になりたい」と思う中国の起業家のたまごの中には、長時間労働を全く厭わない者がごまんといます。
一方で、「996」が社会問題として俎上に上るほど長時間労働が問題視されているのもまたこの国の現実です。
Y.S.

2024.01.26 コラム

中国映画の薦め

張芸謀(チャン・イーモウ)という中国の映画監督をご存じでしょうか。
2008年(夏)と2022年(冬)の北京オリンピックを演出したことで知られています。
また、彼は別のある一件でもその名を馳せました。
以前の中国は人口抑制策として「一人っ子政策」を取っていましたが、それに反して彼には複数の子どもがいました。
そのペナルティーとして今から10年ほど前に日本円で1億数千万円ともいわれる罰金を課されました。
これは当時の中国としてはかなりの高額で、大きな社会的注目を集めました。

 

そんな彼ですが映画監督として数々の名作を世に送り出しています。
その中でも私が一押しなのが「初恋の来た道(原題:我的父亲母亲)」という映画です。
この映画は1999年に制作され、たちまち多くの人々、特に若者たちの心をわしづかみにしました。

かつての中国では自由恋愛はご法度で、学生の恋愛が発覚すると退学処分になったりしました。
その後、改革開放政策が進むに従って自由恋愛が認められるようになりましたが、
それでも映画の舞台となった時代の自由恋愛は極めて珍しいものでした。
この映画で描かれている恋愛の成就は、当時の中国の若者たちの心を大きく揺さぶったものと思われます。

 

この映画はある寒村での若い男女の純愛を描いたシンプルながらも感動的な名作です。
主演の章子怡(チャン・ズイー)は当時まだ演劇学校の学生で、
これがデビュー作でしたがそのあどけなく純粋でひたむきな姿は見る人の心を引き付けて離しませんでした。
かく言う私も彼女に魅せられてしまった一人です。

 

日々の生活を送る中で何となく心が乾いているなと感じる方がいらっしゃれば、是非この映画をご覧ください。
一服の清涼剤のように心が洗われ潤うことと思います。

Y.S.

2024.01.12 コラム

2024年 箱根駅伝雑感

正月2日、3日は箱根駅伝をテレビ観戦するのが我が家の恒例となっている。
今年の箱根駅伝は、最近2年間の駅伝実績から見て圧倒的に有利とみられていた駒澤大学を、青山学院が見事に打ち破ったので痛快であった。
しかし、両校が競り合って勝負がついたのならわかるが、あの強かった駒澤大学に対し、
青山学院が6分以上もの差をつけてゴールしたのは驚きであり、その勝負の綾について感じたことをご披露したい。

それは、駅伝は襷をつなぐ競技だが、襷だけでなく「勢い」も伝播する競技であること。
一人が勢いをつけるとそれが仲間に伝播する。それがまた他の人に伝播し、全体として思ってもみなかった力を生む。
今回の青山学院の2走、3走が、駒澤大学を追い詰め、逆転したことがその典型である。
それがその後のランナーに伝播し、最終的には6分以上の大きな差になった。
逆に、これまでチームを引っ張ってきた中心選手がリードを広げるという必勝シナリオが崩れると、
他の選手は「あれっ?」という気持ちになり、その気持ちの焦りが伝播し、本来の力をだせなくなる。
一人がつまずくとそれが伝播する。
それが今回の駒澤大学であったと思う。

 

駒沢大学の大八木総監督が年末の文芸春秋の対談で言っていた「この区で離されても、この区で逆転するというシナリオがある」
という戦略は必ずしも通用しないのだ。
今回の箱根を走った青山学院の選手10人のうち8人が初めての箱根だった。
箱根駅伝は経験値がものを言う世界だと思うが、それを感じさせない初出場のランナー達だった。
これまで、怪我や、実力不足で箱根を走れなかった上級生が、その思いを込めて走ったという要因もあるだろうが、
箱根駅伝に向けて最も調子のよい選手が選ばれたという単純な結果の様に思う。
一方、駒澤大学は実績のある選手が固定して使われた。
今年の他の大学駅伝で圧倒的な力を見せつけた選手が箱根でも使われたが、彼らの疲労まで考慮されなかった。
その差に青山学院が見事につけ込んだ結果と思う。

 

箱根駅伝は何が起こるかわからないし、時に実力以上の差がつく。だから箱根駅伝は面白いと思うのです。
J.I.

2023.12.08 コラム

イギリスには信号機がない???

イギリスの車道には信号機がありません!というのは誇張で、もちろん信号機はあります。
しかし、信号機の代わりにroundabout(ラウンドアバウト)という、サークル状(ロータリー)になっている交差点がたくさんあります。
イギリスは日本と同じ左側通行なので、roundaboutに進入した後、時計回りに回って、左折なら90度、直進なら180度、
右折なら270度回って、方向転換をします。
roundabout内を走行している車が優先なので、右からくる車に注意しながらroundaboutに侵入し、上記の仕組みで方向転換を図ります。
一見面倒なように思えますが、交通量が少なければ、信号待ちがなく、スムーズに交差点を通過することができます。

 

もともとこのシステムは古代ローマ時代からあり、馬車がスムーズに交差点を曲がれるよう作られたとされていますが、
車の時代になった現在でも多く残っており、欧州では広く存在します(但し、欧州大陸では右側通行なので、roundaboutは反時計回りです)。
結構大きな交差点にもこのシステムは残っており、私が大変難儀したのは、パリの凱旋門のroundaboutで、
確かroundabout自体が5,6車線あって、roundaboutに入ったは良いが、roundaboutを回るたくさんの車に巻き込まれて、
なかなか思う方向に脱出できず、roundabout内を2,3周回って漸く目指す道にでられた記憶があります。
上記の通り、交通量の少ない場所では赤信号で待つ必要がないので、合理的なシステムと思いますが、日本では普及しませんでした。

 

話は変わりますが、信号のない横断歩道で人が渡りそうにしている時、近づいた車が止まるか?行ってしまうか?
私の観察では、イギリス人は止まることが多く、日本人は行ってしまう度合いが多いような気がします(その時々の状況に寄るのでしょうが)。
別の言葉で言うと、日本人は「我先に」、イギリス人は「after you(お先にどうぞ)」の傾向が強いと思います。
roundaboutのシステムは一定のルールはあるといいながら、「お先にどうぞ」の精神がないとうまくいかないのではないかと思います。
「我先に」の国では定着しないのがわかるような気がします。

J.I.