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2024.09.06 コラム

一番面白かったイギリス史

私はイギリスについて書かれた本を結構読みましたが、中でも一番面白かったのが、西洋歴史小説家、
佐藤賢一氏が著した「英仏百年戦争」(集英社新書)です。イギリス史の固定観念がひっくり返るような本でした。

 

この本は、英仏が14世紀から15世紀にかけて覇権を争ったいわゆる百年戦争は、一般的な歴史の本では、
フランドルの羊毛貿易問題やフランスの王位継承問題などを争点に行われた英仏間の戦争ということになっているが、
実態はフランス人同士の内輪もめの戦いだったという内容です。

この本によれば、そもそも11世紀にイングランドを統一したと言われている「ノルマンディ公ウイリアム一世」自身が、
フランス生まれでフランス語を話す歴としたフランス人ギヨームでした(ギヨームの英語読みがウイリアム)。
イングランド統一後もギヨームの本拠はフランスに置かれ、ギヨームの感覚では、
イングランドはノルマンディー公国の海外植民地にすぎませんでした。
イングランドは、以後ウイリアムの時代からヘンリー(アンリの英語読み)の時代に移行し、
歴代ヘンリー達は母国フランスの王位を取り返すことが願望でありましたが、
代替わりするうちに徐々にイングランド人の自覚を持ち始め、漸く16世紀のエリザベス女王の時代になって、
イングランドはウエールズやスコットランドを統一し、欧州の一流国になっていったのが実態という訳です。

 

ところが、どうしてイギリス人や世界の多くの人々は、この歴史をイングランドとフランスの戦争と理解しているのでしょうか?
それは、偉大な作家、シェークスピアの果たした役割が大きいと言われています。
シェークスピアの時代はエリザベス一世がスペインの無敵艦隊を破り、欧州の一流国になりつつあった時代で、
彼は意気高揚の世相に乗って、中世の頃からイングランドは欧州の一流国であったという風に歴史を改ざんしたというのです
(上記のイングランド王ウイリアムやヘンリーはシェークスピアによりイングランド人として描かれた)。
イギリスにはシェークスピア症候群というのがあり、彼の史劇は、シェークスピアを誇りとするイギリス国民、
ひいては世界の人々の歴史認識まで左右しているという訳です。

 

以上がこの本のポイントですが、自国の歴史を美化するのは万国共通の衝動という訳です。

J.I.

(注)文中イギリス(英)とイングランドが混在していますが、
ウエールズやスコットランドを統一する前のイギリスはイングランドしかなかったので、一応使い分けをしています。

2024.08.27 コラム

上有政策下有対策(上に政策あれば下に対策あり)

この成句は中国人の気質をよく表しています。
意味は皆さんも想像がつくと思いますが、上(中央政府など)がさまざまな政策を制定・施行しようとしても、
下(民衆または地方政府)は唯々諾々とそれに従おうとはせず、
その政策を潜脱する方法をあれこれ考えて政策を骨抜きにしてしまうという意味です。
誠実で律儀な日本人は法律は守るべきもの、守るためにあるものと考えます。
一方、中国人は(極点な言い方をすれば)法律は隙あらば破ってもいいものと考えています。
どこかに抜け道はないかと考えるのです。

 

実はこんな経験をしたことがあります。
私が北京に駐在していた頃(2010年代)、ある日市内にある個人経営の衣料品店に行った際、何とも奇妙なTシャツを目にしました。
そのTシャツは白の生地に肩から斜めに太くて黒い線がプリントしてある代物でした。
その時は変わったデザインだな、センス悪いな、こんなTシャツを買う人がいるのかななどと思ったものです。

 

それから数日して街を歩いていると対向車線を一台の車がこちらに向かって走ってきます。
何気なく運転席を見ると何日か前に衣料品店で売っていたあのTシャツを着ているのです。
その瞬間、「あ!そういうことか。」と合点がいきました。
遠目に見るとあのTシャツはあたかもシートベルトをしているように見えるのです。
中国も法律によって走行中はシートベルトの装着が義務付けられています。
これを鬱陶しいと思う人は結構多く、そういう人がこのTシャツを購入して警察の目をごまかそうとしているに違いない。
さてその効果の程やいかに。

 

こんな喩え話もあります。
「青と白のゼブラ模様のシマウマを産出せよ」というお達しがお上から出ました。
日本人は「これは難題だ。でも遺伝子組み換え操作で何とかなるのではないか。」と至極真面目に考え頭を悩ませます。
一方、中国人は「簡単なことさ。黒い部分を青く塗ればいいだけの話。」
こういう奇想天外で柔軟な(?)発想こそが中国でさまざまなイノベーションが起こる根底にあることもまた事実かと思います。

Y.S.

2024.06.28 コラム

ケルトの国―アイルランド小噺《アイルランドの祝祭日(2) ブルームズデー② 》

英語文学が主流になってからまず皆さんがご存じのアイルランド作家は、
かの「ガリバー旅行記」を残した“ジョナサン・スウィフト”であろう。
彼は、英国人として知られているが、生まれは英国支配下のアイルランドで、
英国の支配下にあって虐げられたアイルランド人の側に立った著作は、アイルランド人の心を強くつかみ、
スウィフトはアイルランド民衆の間で英雄としてもてはやされてきた。
「ガリバー旅行記」は日本では子供のための冒険談として知られているが、
この作品にも英国のアイルランド支配への皮肉のまなざしが潜んでいると言われている。

また、「サロメ」「幸福な王子」などの代表作で知られる“オスカー・ワイルド”もアイルランドの作家として著名である。

 

これも余談となるが、皆様はかの“吸血鬼ドラキュラ”の原作がアイルランド作家の著作によるものであることをご存じであろうか?
怪奇小説の古典である「吸血鬼ドラキュラ」の作者ブラム・ストーカーは、
アイルランドのダブリン生まれでイギリス生活が長いことから英国人と考えている人も多いが生粋のアイルランド人である。

 

また、ついでにアイルランドとのかかわりが深く、日本でも最も有名な作家といえば、小泉八雲(ラフカディオン・ハーン)であるが、
小泉八雲とアイルランド、日本とのつながりについては、別コラムでご紹介したいので乞うご期待を。

 

さて、ブルームズデーに戻ると、ノーベル文学賞こそ受賞していないが、
アイルランドで最も著名な作家・詩人のひとりとして“ジェームズ・ジョイス”の名を上げても反対する人は少なかろうと思う。

20世紀のもっとも重要な作家のひとりして評価されているジョイスは、アイルランドのダブリン生まれで、
主要著作には「ダブリン市民」「若き芸術家の肖像」「ユリシーズ」などがある。

この人の小説は、きわめて難解で、筆者も英語本に何度となく読解にチャレンジしたが、

完読できずあえなく早々での挫折を経験させられていて、同じような経験をされている方は多いのではなかろうか。

その代表作「ユリシーズ」は、1904年6月16日に起こった出来事を描いているが、
毎年その6月16日を記念日として祝われているのが“ブルームズデー”である。

ダブリンを中心にアイルランドでジョイスにまつわる小説・詩の朗読会、演劇、映画を含む幅広い形で祝われており、
特に小説当時の衣装の特徴である帽子をかぶったおしゃれをして楽しむことが毎年アイルランドで華やかに行われている。

日本でも先月末から2週間にわたり“アイルランド映画祭”が恵比寿ガーデンシネマで開催されているが、
アイルランド大使館を中心にブルームズデーを祝うというイベントが企画・実施されている。

 

それでは、次回は、アイルランドの記念日の一つである、
”聖ブリッジッドデー(St. Brigid`s Day)“(2月1日)についてもご紹介させていただきたい。

Y.T.

2024.06.14 コラム

ケルトの国―アイルランド小噺《アイルランドの祝祭日(1) ブルームズデー① 》

アイルランドには、西欧の他の国にあるキリスト教と密接に関係あるクリスマスやイースターなどの祝日以外に
他の国にない独特の祝祭日がある。

その独特の祝祭日の中で一番世界的に知られているのは、“セント・パトリックスデー”であるが、
その他にもいくつか興味深い祝祭日がある。

それらを順番に追ってご紹介していきたいと思う。

 

まずは、日本ではほとんど知られていない6月16日“ブルームズデー”(Bloomsday)について。

ブルームズデーを説明するには、まずアイルランドが小説・詩・演劇に対する関心が非常に高い“文学の国”であることから説明する必要がある。

アイルランドでちなみにアイルランドとして独立後、ノーベル文学賞を受賞した作家は、ウィリアム・B・イエ―ツ、
バーナード・ショー、サミュエル・ベケット、シェーマス・ヒーニーと4名も輩出しており、
人口当たりの受賞者数としては、世界最高の比率と言われている。

 

以前のコラムで触れたケルト文化のころから口承で伝播したケルト神話から始まり、
その後のアイルランド語(ケルト語語源)文学の歴史は長く1500年近い歴史があり、
アイルランド語最古の文学作品は、6世紀末にできたと言われており、古事記や日本書紀より100年あまり古い。
その頃は、英語の文学作品すらこの世に存在していない時期でそのころからアイルランドの文学の創生は、確認されている。

 

余談となるが、初期のアイルランド文学の神話・伝説に登場する英雄や女王たちは
現在の日本のゲームやアニメのキャラクターになっているものが多いことは非常に興味深い。

また、別の機会で触れたいとも思うが、日本のゲームやアニメでアイリッシュ音楽が非常に多く使われているのと無関係ではないだろう。

 

吟遊詩人や詩人を中心に口承で伝えられた物語の長い時代から、
やがてイギリスの長い支配を受ける中で英語文学がそれにとって代わるようになったが、
ケルト的な要素は英語文学が主流となっても色濃く反映がされることとなる。

それでは、英語文学が主流になって以降のアイルランド文学について、
またそれがなぜアイルランドの祭日である“ブルームズデー”とつながってくるのかを次回以降に触れてまいりたい。

Y.T.

2024.05.24 コラム

「神田川」

50年も前の話ですので、若い方にはピンと来ないと思いますが、
その頃「かぐや姫」というフォークグループの「神田川」という歌が流行っていました。
この歌は作詞家の喜多條忠が、早稲田大学在学中に恋人と神田川近くのアパートで暮らした思い出を歌詞にしたもので、
当時の貧乏学生の心を掴んだ作品でした。
「三畳一間の小さな下宿」や「二人で行った横町の風呂屋」、「24色のクレパス」、「窓の下には神田川」など、
印象的なフレーズが織り込まれた歌詞と南こうせつが作曲したメロディーが見事に調和した昭和を代表する楽曲です。

 

筆者も実は学生時代、窓を見下ろすと神田川が流れる下宿に住んでいた経験があり、近所の銭湯に通う日々でした。
それだけにこの曲には非常に親近感があり、今でも神田川を見るとその当時を思い出します。

 

筆者の学生時代の現実とこの曲の歌詞との大きな違いは、
かぐや姫の神田川は高田馬場近辺の描写であるのに対して筆者の神田川は杉並区久我山の流域を指している点と、
その当時、「風呂屋」の外で筆者を待っている女性はいなかったことです。
それでも井の頭線が下宿の横を通ると部屋がガタガタ揺れたし、赤ちょうちんのおでんはごちそうでした。
まさにバブル前夜の日本の転換点といった時代だったように思います。

T.H.

2024.05.10 コラム

イギリスは4つの国の連合王国

イギリスを構成する4つの国の成立経緯に焦点を当てて歴史を振り返ると、以下のようになります。

 

イギリスのブリテン島には紀元前7世紀ごろからケルト系の諸族が定住。
その後ローマ帝国の支配を経て、5世紀ごろ、アングロサクソン人が西北ドイツから押し寄せ、
ケルト系の諸族をブリテン島の周辺部(現在のスコットランドやウエールズ)に追いやり、イングランド王国を形成。
その後16世紀にはウエールズを統合。
スコットランドはイングランドと争いを続けたが、1603年、共通の国王を戴く同君連合を結成。
1707年、スコットランドは議会を廃止し、イングランドと一つの王国として統一された(グレートブリテン王国)。
その後もスコットランドは独自の司法、教育制度、国教会、通貨を維持するNationであり続けている。
このNationの位置づけはウエールズ、北アイルランドも同様。

 

アイルランドはブリテン島の西に位置する島で、1801年にグレートブリテン王国に併合されたが、1922年アイルランド自由国が樹立され、
主に宗教的な理由でそれに反対する北アイルランドがグレートブリテン王国に残った経緯がある。
(従ってイギリスは、1801年から1922年までは、United Kingdom of Great Britain and Ireland
1922年以降はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandと呼ばれている)

 

このような経緯でできたイギリスは、イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドの4つのNationの連合体である。
Nationとは、言語や文化、歴史を共有し、民族的、社会的同質性を持つ共同体と定義されている。
イギリスではスポーツとナショナリズムが明確に結びついており、例えばイギリスはサッカーの母国であり、
国際サッカー連盟(FIFA)の設立以前から4つのNationがそれぞれ連盟を持っていたので、
今でも4つのNationごとにナショナルチームが認められている。
ラグビーも同様である。
なお、オリンピックは、イギリス全体で単一の委員会を設立しているため、イギリス代表で参加している。

 

歴史的経緯は以上ですが、イギリスには4つの国があるといっても、それぞれパスポートを求められる訳ではなく、
普段は1つの国で生活しているのと変わりません。
しかし、イギリスを旅行してみると、スコットランドで聞く英語は独特であり、
ウエールズでは、ウエールズ語を話す人は少ないにもかかわらず、
道路、鉄道、ホテルの標示は全て英語とウエールズ語の2言語併記になっているなど、やはり文化の違う国に来たという感想を持ちます。

J.I.

2024.04.19 コラム

現代若者事情:中国の「45度青年」

ここ何年か中国の若者の間で「内巻(ネイジュエン)」と「躺平(タンピン)」という二つの異なる生き方を表す言葉が流行していた。
「内巻」とは組織内で内向きで不要な激しい競争に巻き込まれるという意味で、
職場などで非合理的な競争が繰り返されている状況を表す言葉である。
一方、「躺平」は中国語では「寝そべる、横たわる」という意味で、
そこから転じて、頑張らない、競争しない、欲張らない、最低限の生活で満足し心静かに暮らすという状況を表す言葉である。
多くの若者が「躺平」のような生き方を志向し中国では大きな社会現象となった。
この両極端な生き方に割って入る形で、最近になって「45度青年」という新語が登場してきた。
この言葉の意味は、現実の生活において競争に完全に巻き込まれることも、そこから完全に逃避することもなく、
45度の姿勢を保って生きていこうということである。
0度が完全に寝そべることを指すとすれば、90度は逆に激しい競争に巻き込まれることを指し、
45度はちょうどその中間に位置していることになる。
つまり45度の姿勢はストイックに競争に参加することもなければ完全にだらけてしまうこともなく、
ほど良いバランスを保って生きていこうという生き方を表している。
最近ではこうした生き方に多くの若者たちが共感を覚えているらしい。

 

中国の若者の実態を見ると、口では「寝そべっている」とは言っていても、実際の生活ではしっかりと競争に立ち向かっており、
心の中では「人並み」の暮らしに甘んじたくはないと考えている者は多い。
競争には勝ちたいと思ってはいるものの、強いストレスやあまりに熾烈な競争に耐えられず、
2つの両極端の間を行ったり来たりしている若者が多いというのが実態だろう。
「45度青年」という自嘲気味な言い方には、中国の多くの若者が抱える強烈なストレスとジレンマが詰まっているように感じる。

Y.S.

2024.03.15 コラム

「君たちはどう生きるか」を観て、読んで

宮崎駿の最新アニメ「君たちはどう生きるか」がアカデミー賞の長編アニメ賞をとったというニュースが流れました。
このアニメは、昨年夏に封切られましたが、大々的な前宣伝もなく、映画館が賑わったという報道もなく、
何ともインパクトの少ない受賞だった印象があります。

 

実はわたくし、この映画のタイトルが、戦時中に出版された本の題名から採られたものだということを聞いて興味が湧き、
去る2月初旬に映画館に観に行きました。観客は我々夫婦とあと2人。ブームはとっくに過ぎたんだなと思いました。

 

アニメの主人公は10才くらいの少年。
最初は、戦時中の裕福な疎開先の暮らしがリアルな細かさで描写されるのに圧倒されましたが、
その内にジブリらしいファンタジーの世界が始まり、画面は目まぐるしく展開し、
亡くなった母の若い頃に出会い、そして現実世界に戻ってくる。
その中に、一瞬だけ、死んだ母から贈られた「君たちはどう生きるか」という本を主人公が読んでいる場面があります。
アニメを観ている限り、このアニメと本の繋がりは、この場面だけです。

 

なぜアニメに、戦時中の本の題名、しかも哲学的なタイトルをつけたのだろう?と思って、後からネットでこのアニメの評価を読むと、
宮崎駿のアニメは「不完全な世界を肯定し、苦しみの中で仲間や喜びをみつけながら生きていくことの大切さ」
というテーマが一貫していると書かれていました。
そう言われてみるとこのアニメも、母を失った寂しさと、疎開先の生活に馴染めない少年が、
不思議な世界に紛れ込んで色々なことに出会ううちに気持ちが晴れて、
前向きな自分になって現実の世界に戻ってくるという感じになっています。

 

その後、岩波文庫になっている本も読んでみました。
盧溝橋事件が勃発した1937年に吉野源三郎という児童文学者が書いた本で、このアニメと似たような話かなと思ったら全く違う話で、
戦時中の(時代設定だけはアニメとだいたい同じ)街の少年が友人との色々な事件を通して成長していく話です。
しかし、ストーリーは上記のアニメとは違っても、不完全な世界というか不完全な自分に悩みつつも、
色々な事件をきっかけに逞しく成長していくという、
宮崎アニメと同じようなテーマがベースとなっています。
アニメと本を観て読んで、宮崎駿の頭には、母の温もりと共に常にこの本に書かれたテーマがあって、
アニメを通してそれを訴え続けたんだな、その集大成として、このアニメは宮崎駿の遺書なんだと感じた次第です。
しかし、恐らく本までは読んでいない海外の人たちを、アニメでここまで魅了する宮崎作品は、
やはり凄い力を持った芸術作品なのだなと思った次第です。

J.I.

2024.03.08 コラム

不適切にもほどがなかった?

今クール放映中のテレビドラマに「不適切にもほどがある!」という如何にもキャッチーなタイトルのものがあり、
宮藤官九郎氏の脚本であることを知ったので視聴することにした。

 

ドラマはコンプライアンスとは縁もゆかりも全くない昭和時代の熱血教師(阿部サダヲさん)が主人公。
この昭和のおじさんが現代にタイムスリップし、逆に令和の母と息子が昭和にタイムスリップして巻き起こす悲喜こもごもの物語である。
タイムトラベルを題材とした物語は「バックトゥザフューチャー」をはじめ、数多く存在するが、
コンプライアンスを絡ませたものには初めて出会った。

 

そう言えば、筆者が某保険会社に新入社員として入社したころ、オフィスのデスクには灰皿が置いてあり、普通に紙たばこを吸っていた。
会社の上司からは「嘘をついてはいけないが本当のことも言わなくて良い」などと分かるような分からないようなことを言われた。
「盗んだバイクで走り出す」といった歌詞のついた流行歌がヒットし、カラオケでは上司が新人の女性社員を横に座らせた。
「自爆」というノルマ達成のための自己犠牲が存在した。

「コンプライアンス」という英語は存在していたとは思うが、昭和にはその意味を知る者はいなかった。
当時の感覚でも「アウト」とされることもあったのだろうが、大目に見られる大らかな時代であった。

 

バブルで頭の中も沸騰していたあの時代。
あの時代に戻ることは出来ないかもしれないが、あの時代を懐古し、ほくそ笑む筆者は「不適切」なのだろうか?

T.H.

2024.02.22 コラム

中国:今昔物語

今は昔、1980年代後半から1990年代初頭の中国で私が経験したあれやこれやを徒然なるままにご紹介いたします。

 

①3A(スリー・エー)
当時の中国は何をするにも物事が前に進まず、約束は守られず、何かにつけて言い訳を聞かされることばかりでした。
我々駐在員の中での合言葉は「あせらず・あわてず・あきらめず」。それだけでは足りない。
そう感じた私は更にそこにもう一つAを付け加えました。それは「あてにせず」。

 

②OKY
中国側とビジネスの話や相談事をすると決まって言われたのが、「没問題(=問題ない)」というフレーズ。
これで事がトントン拍子に進むかと思いきや、待てども待てども話は前に進まず、まさに「百年河清を待つ」の状況に。
そうした現地の事情を理解できない本社の面々は「何をもたもたしてるんだ!」とお怒りの体。
わかってないな~、ここは日本と違うんですよ。
そして心の中でこう呟いたものです。「O(おまえ)K(きて)Y(やってみろ)」

 

③横断歩道は赤信号で渡れ
横断歩道は青信号で渡るのが世界の常識ですが、当時の中国では青信号だからといって左右を確認もせずボーとして渡っていると
信号無視の車にはねられることはよくあった話。
その頃の中国は車優先社会で、車の運転手は信号などまともに見ていません。
青信号だからといって安心せず、赤信号の時にこそ左右をしっかり確認して渡るほうがずっと安全。これも一理あり。

 

④百貨店の靴売り場
ある日百貨店の靴売り場に行ってみると、陳列棚には靴の片方しか置いてありません。
「あれ?もう片方はどうしたの。」店員に聞いてみたところ、その店員曰く、
「両方揃えて並べて置いておいたらだまって持っていかれてしまうでしょう。」..「あ、そういうこと。」
これぞ究極の万引き防止策と合点がいった次第。

Y.S.