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2023.03.10 コラム

心のオアシス

オアシスを中国語では「緑洲」と言います。漢字がその意味を的確に表していると思います。
話は今から30年ほど前に遡りますが、当時北京に駐在していた私は、同業の友人たちと団を組みシルクロードを旅したことがあります。
北京から新疆ウイグル自治区の首都であるウルムチまで飛行機で行き、そこで小型バスをチャーターして天山南路を西へ西へと進み、
中国最西端の町カシュガルまで歩を伸ばしました。
タクラマカン砂漠を横断する旅でしたが、車内で喜多郎のCDを聴きながらの旅は、
その音楽の調と相まって正しくシルクロードを旅する「遊子」の心境でした。
いっとき現世を忘れる時間でもありました。どこまでも果てしなく続く真っ直ぐな一本道。
「月の砂漠」のイメージとは全く違い、外は常に強風が吹き荒れ、走れども走れども車窓の外には荒涼たる茶色の世界が広がっていました。
まるで私たちが立ち入るのを拒絶するかのように。

どのくらい走ったでしょうか、突然右前方に青々とした一帯が見えてきました。
「オアシスだ!」 ・・皆一様に声を上げました。
天山山脈を源泉とする地下水が地上に溢れ出てきたところにオアシスができていたのです。
その幻想的な光景は今でも目に焼き付いています。
オアシスは遥か遠く北京から来た遊子たちの心を潤し優しく包み込んでくれました。
古代の旅人たちもきっと同じ思いだったに違いありません。

「对我来说,你是沙漠中的绿洲(=君は僕にとって砂漠の中のオアシスだ)」・・北京のスナックでこんな殺し文句を使う駐在員がいたとか。
娯楽に乏しいその当時の北京生活では、こうした場所は乾いた心を癒してくれる心のオアシスだったのでしょう。

さて、このコラムをお読みの皆さんは何か心のオアシスはお持ちですか?
心がちょっぴり乾いたり、少し風邪気味かなと感じたりしたとき、
心のオアシスがあればきっとそうした心に潤いを与え優しく癒してくれるはずです。

( ※ 効果には個人差があります)
Y.S.

2023.02.24 コラム

保険と宗教

今から40年近く前に90歳で亡くなった私の祖父は天台宗の僧侶で、おしゃべりが上手だったのであちらこちらから講演を頼まれたようです。
そのいくつかがカセットテープに残っており、その中に「保険と宗教」と題した短い講話がありました。要約するとこんなことを言っています。

 

戦国時代の武将も信仰を拠り所とした。
上杉謙信は毘沙門天を信仰し、加藤清正は南無妙法蓮華経を唱え、徳川家康は「厭離穢土欣求浄土」
(篤く信ずれば、来世では幸せの世界が待っている)を旗印とした。
人生は哲学(宗教)を持たねばならない。平時においては宗教がなくても問題ないが、一旦事あると人間は動揺してしまう。
先の大戦中、ある大隊に頼まれて、兵士の心構えについて、「喧嘩とか戦争で勝つか負けるかはやってみないとわからないが、
負けるかもしれんと考えると人間は動揺する。この戦争には勝ち抜いて、この国を守らなければならないという信念が必要である。
どんなことがあっても動揺しない信念が肝要である。この信念により戦い抜く勇気がでてくる」
というような話をしたら、大隊長からえらく感謝された。
ところで保険がもたらす信念は何であろうか。人生には必ず危険が伴う。
保険には、どんな時にも動揺しない助け合いの仕組みがある。
人間はどんな時にも底力のあるものに人生を預け、自分は動揺しないことが重要だ。
信玄も清正も家康も神仏に自分を預け、そして動揺することなしに戦地に向かった。無事ということは、平穏で安心だということではない。
どんなことに出会っても問題にしない、動揺しないということ。
三十三間堂の千手観音は、その場その場で拘りなく如何様にも対応する、悟りの境地を体現している。宗教は預けること。
ものに拘る気持ちを神仏に預ける、これが宗教であり、保険に似ているところがあると思うのである。

 

保険という金銭的サポート(生命保険をメージしているようです)があると危急の時に動揺しないかと言われると、なかなかそうはならないと思うので、少しこじつけが過ぎるような気がしますが、このような見方もあるのだと思い、ご紹介する次第です。
J.I.

2023.02.10 コラム

軸足 利き足による損害防止

こんなデータがあります。
幼稚園児に運動場のトラックで走ってもらいます。先ず右利きと左利きにグループを分けます。
右利きグループに反時計回り(通常のトラック競技の向き)で一周。次に逆の時計回りで一周。
するとタイムは前者の方が良いのです。
今度は左利きグループに同様に反時計回りで一周、更に時計回りで一周走ってもらいます。
すると後者の方のタイムが良くなります。

 

これはカーブを走る時に、内側に軸足、外側に利き足だと、利き足で上手く調整しながらカーブに沿って走れるが、
逆に内側が利き足、外側が軸足だと、調整が上手く出来ずにスピードが落ちる為とのことです。
何のトレーニングも受けていない幼稚園児が、自然体で走ってタイムに差が出る訳ですから、それなりに説得力があると思います。

 

荷役の現場に於いても、この軸足利き足は考慮すべき要素となります。
ベルトコンベアから荷物をピックアップし卸す作業を想定します。
左から流れてきた荷物を、流れに沿ってピックアップし、右側の床に置く場合、体の動きは左足を軸足として回転し、
荷物を床に置くことになります。利き足が右足なら、スムーズな動きとなります。
しかし、利き足が左の人(左利きの人)にとっては遣り難い作業です。
この軸足利き足が逆の作業を続けると、軸足利き足がマッチした作業環境より事故率が10%上がると言われています。

 

因みに日本人の右利きと左利きは9:1程度。右利きの人は利き足も右が多いのですが、利き足の方は右:左が7:3程度とのことです。
このように右利き、利き足が右という方が多い訳ですが、作業環境が軸足利き足にマッチしたものとなっているか、
荷役現場を管理する方は今一度見直されては如何でしょうか。
J.G.

 

2023.01.27 コラム

宗家の三姉妹

「歴史の陰に女あり」という言葉がありますが、歴史に名を遺した偉人達にはそれを陰で支えた女性たちの存在がありました。
代表的な例を挙げれば、私は日本では山之内一豊の妻「千代」、世界を見ればナポレオンの最初の妻「ジョセフィーヌ」などを思い出します。

さて、20世紀初期、中国にも中国の歴史の方向性に大きな影響を与えた三姉妹がいました。
その生き様は「宗家の三姉妹」と題して映画にもなっています。(1997年/香港・日本合作映画)
その三姉妹とは、宋藹齢、宋慶齢、宋美麗。
彼女たちは上海の大財閥の娘で、長女の宋藹齢は山西省の財閥の当主である孔祥熙に、次女の宋慶齢は国父と言われた孫文に、
三女の宋美麗は中華民国総統の蒋介石に嫁いでいます。
その生き様から、宋藹齢は富を愛し、宋慶齢は国を愛し、宋美麗は権力を愛したとも評されています。
激動の中国近代史の渦中に身を置きながら、陰に陽に夫を支え続けた三姉妹。
もしこの三姉妹いなかったら中国はどういう歴史を辿ったのか。

翻って私も含め今の世の殿方は、自分が如何に奥方に支えられているか、きちんと自覚しているでしょうか。
胸に手を当て改めて考えてみたいものです。
中国建国の父毛沢東は女性をこう表しました、「半辺天」(天の半分は女性が支えている)と。
Y.S.

2022.12.27 コラム

サッカー2022年W杯 クロアチアチーム

約1か月に亘り中東カタールで繰り広げられたサッカーW杯は、南米の雄アルゼンチンの優勝で幕を閉じました。
私は去る6月に、日本チームがどこまで勝ち進むかについてやや悲観的な予想をしましたが、ドイツやスペインを破るという予想外の出来で、
日本サッカーもまた一歩前進という感を強めました。
今回は、その日本の躍進ではなく、ベスト4まで勝ち残ったクロアチアに注目しました。

 

皆さんも、人口わずか400万人の小国がどうしてあんなに強いのだろう、最後までがんばれるのだろうと思ったのではないでしょうか。
今回のW杯でクロアチアは、なんと4つの試合を引き分けながらPK戦で勝ち上がり、あのブラジルも倒して、最終的には3位になりました。
前回大会も準優勝ですから、押しも押されぬサッカーの強豪国になりました。
もちろんクロアチアの選手は、自国では稼げないので、欧州を中心とした他国の強豪チームに所属して活躍しており、
欧州のトップレベルの選手たちが多くいることも勝因の一つだと思います。
ただ、私はクロアチア選手のメンタルの強さに注目します。

 

クロアチアは、ユーゴスラビアから独立してまだ31年の若い国です。
もっとも、クロアチアを含めたバルカン半島は古い歴史を持ち、民族、宗教、文化が入り混じった複雑な地域で、
合従連衡を繰り返してきました。
昔から紛争が絶えず、バルカンの火薬庫とも言われています。
ですから、クロアチアをはじめ、ユーゴスラビアから独立した国々は、複雑な背景を持つ人々の集まりだからこそ、まずは国としてまとまり、
仲間意識を持つことが重要で、その意味でスポーツ、特に欧州で盛んなサッカーは、他国(敵)と自国(味方)を明確に見せつけ、
仲間意識醸成に重要な役割を果たしてきているのだと思います。
別の言い方をすると、クロアチアのサッカー選手は、戦士と同様、国を背負って戦っているのです。
俺たちはクロアチア人だと高らかに叫び、クロアチアの勝利を国民に届け、
それにより国民は国民意識を高め、一つの国としてまとまっていくことができるのです。

どこかの国の監督が、「ベスト8に入って新しい景色を見たい」と言っていましたが、失礼ながら、こののんびりとした目標を持つチームと、
国を背負って戦いに来ているチームとの差が、やはり最後の最後にはでたのではないでしょうか。

J.I.

2022.12.16 コラム

「蛍の光」がなぜ閉店BGMに?

コロナ禍ということもあり最近の状況は分からないが、かつては閉店・閉館時に「蛍の光」が流れていたのをご記憶の方は多いと思う。
しかし、何故「蛍の光」なのか意外に知られていない。
「蛍の光」は、1881年(明治14年)に小学校歌集初編で発表された日本の唱歌だが、原曲はというと、「オールド・ラング・ザイン」(Auld Land Syne:英訳では「Old Long Since」「久しき昔」)というスコットランド民謡である。

 

1940年のアメリカ映画「哀愁」(原名「ウォーター・ルー橋」)は、ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーが主演し、
当時ラブ・ストーリーの最高傑作と言われ、日本では1949年に公開された。
二人が食事をする店の閉店前、最後の曲としてこの「オールド・ラング・ザイン」をワルツ風に編曲した曲が流れ、このワルツに合わせて、
主演の二人がキャンドルライトの中でダンスをするのだが、時計の針が12時を指す頃、楽師たちが燭台の蝋燭を一本ずつ消してゆき、
店内は次第に闇に包まれてゆく。
まさに哀愁を帯びたロマンティックなシーンとなっている。
つまり、日本において「蛍の光」(実際にはワルツの3拍子に編曲されたもの)が閉店・閉館時のBGMとして定着した大きな理由の一つは、
映画の中で閉店前の最後の曲として使われたことにあると言われている。
更に、後に古関裕而がこの曲を採譜、編曲し「別れのワルツ」と題してレコードが販売された。
この「別れ」という題名も閉店のイメージにうまく合っていたのかもしれない。

 

日本では映画とともにこの「別れのワルツ」が大ヒット、さらに映画の中の「ウォータールー橋」を銀座・数寄屋橋に置き換えた設定で、
ラジオ・ドラマ「君の名は」が放送され、町中に「別れのワルツ」が流れることとなる。

余談だが、別れがメインとなっている日本の「蛍の光」とは異なり、原曲の「オールド・ラング・ザイン」は、旧友と再会し、
思い出話をしながらビールを酌み交わすといった歌詞となっていて、英語圏では大晦日のカウントダウンで歌われている。

Y.H.

2022.12.02 コラム

歌舞伎を楽しむ その5(完)「大向こう」

「中村屋!」「成田屋!」「十八代目!」

歌舞伎では人気役者が登場した時、あるいは見得を切った時などに後方の客席から掛け声が飛び交います。

これを「大向こう(おおむこう)」 と言いますが、舞台から見て遠い客席またはその観客を指し、
転じて芝居通の観客またはその掛ける声を指します。

歌舞伎座では3階席・4階幕見席が該当し、用語としては 「大向こうを唸らせる」 となります。

 

「大向こう」 には決まりがあります。主なお決まりとしては、

・男性に限る。(最近は女性の声も聴こえます)

・桟敷席および1階席では掛けない。

・役者の名前ではなく、屋号(音羽屋・成田屋・澤瀉屋・播磨屋など)、
または代目(10代目=十代目松本幸四郎、11代目=十一代目市川海老蔵など)で掛ける。

・役者が病気療養の後にしばらくぶりで舞台に上がった時などに使われる 「待ってました!」 の大向こうに対して、
役者が応える 「待っていたとはありがたい」(故・十八代目 中村勘三郎) のやり取りも場を盛り上げます。

 

歌舞伎では、容姿よりも声、つまり口跡(こうせき=せりふまわし) を第一としますが、更にマイク無しでも天井まで響く声量を求められます。

「大向こう」 はそれに対峙する技量が必要です。飛び入りで大向こうに挑戦してもできず、却って雑音を入れることになり兼ねません。

そこで劇場公認の大向こう親睦会がいくつか結成されていて、そこで練習を重ねては、「木戸御免=無料」 で入場して大向こうを発しています。

 

十一代目市川海老蔵による大名跡 「市川團十郎」の襲名は、コロナ禍により当初予定の2020年5月から2年6か月も遅れて先月、
歌舞伎座にて 「十三代目市川團十郎白猿襲名披露公演」 (2022年11~12月) がスタートし、今後全国の主要劇場で行われます。

襲名披露には 「口上」 がつきもので、舞台には歌舞伎名優がずらりと並びそれぞれが口上を述べます。

そこには大向こうが飛び交います。

演目には七代目市川團十郎が市川宗家のお家芸として選定した18番の演目、
いわゆる「歌舞伎十八番」 が多く、その他も含めて面白いものばかりです。

機会があれば是非ご覧ください。

 

なお、コロナ禍で禁止されていた大向こうが今公演では復活したものの、
特設 「大向うエリア」 にて劇場指定の関係者2名によるマスク着用での掛け声のみが許されると案内されました。

また、海老蔵は襲名する團十郎に続けて 「白猿(はくえん)」 を追加しています。

白猿とは五代目團十郎が晩年に俳号として使用したもので、
「猿は人間に毛が三筋足らぬ」 と申し 「私は父や祖父の足元にも及ばぬ」 として祖父の俳号 「栢莚(はくえん)」 をもじって付けたもので、
海老蔵は五代目にならって付けたということです。

K.S.

2022.11.11 コラム

歌舞伎を楽しむ その4 歌舞伎の舞台装置

定刻になると場内が暗くなり、拍子木による柝(き)が入り開演を知らせます。

そして大きな幕が引かれて開演となります。
この幕はいつも使う意味の 「定式幕(じょうしきまく)」 という名称で、3色の縦縞模様の引幕ですが、
歌舞伎座は黒・柿・萌黄(もえぎ)3色の森田座が使用していた定式幕を継承しています。
(国立劇場は市村座、平成中村座は中村座の定式幕を踏襲しています)

他に上下に開閉する緞帳 (どんちょう) があって演目により使い分けられますが、
歌舞伎座の緞帳は約1トンと重く気品ある絵柄で4~5枚が収納されており、幕間に実物を下して紹介してくれます。

舞台に向かって下手にある通路が「花道」で、人物の登場・退場に使われます。

「白波五人男」では、悪党だけれど憎めない5人が花道から登場して七五調の名セリフで魅了します。

「勧進帳」では、義経一行が北陸を通って奥州へ逃げる途中、安宅の関で関守の富樫に疑いをかけられ緊迫した場面が続きますが、
弁慶の主人思いに感動した富樫は通行を許し、弁慶は独り最後に「飛び六方」(ロッポウとは歌舞伎の歩く芸)で花道を退場します。

 

舞台の中央には大型の「まわり舞台」があって、そこに在る大小の「せり」を使って人物や屋敷などがせり上がります。

「まわり舞台」が回転すると次の場面へ切り替わります。幕を閉じることなく場面が変わり、劇が続きます。

歌舞伎の大道具は大胆・シンプルかつ美しく、余分な色彩や絵は使っていません。

花道にも小さな「せり」があって「すっぽん」といいますが、ここから登場するのは妖怪・幽霊の類です。

2012年、市川染五郎(現松本幸四郎)が国立劇場で公演中に「せり」から後ろ向きに3メートル下の奈落に転落して大けがをしました。

私は「四国こんぴら歌舞伎」の「金丸座(かなまるざ)」を見学したとき、地下のかび臭い処で「奈落」を観ました。

歌舞伎に由来する言葉は、その他に「裏方」「お家芸」「黒幕」「三枚目」「どんでん返し」「幕を引く」など多数あります。

 

最近は「宙乗り(ちゅうのり)」の導入が増え、「義経千本桜」の市川猿之助、
「駄右衛門花御所異聞(だえもんはなのごしょいぶん)」の海老蔵・勸玄親子が客席の上をロープを伝って大声援を受けて退場します。

また新作歌舞伎としては、夢枕獏の「陰陽師」、漫画のスーパー歌舞伎「ONE PIECE」、バーチャルシンガー初音ミクとの共演「超歌舞伎」などが出現し、プロジェクトマッピングや最新テクノロジーを駆使した今までにない空間と光と音楽による歌舞伎ワールドを観ることができます。

K.S.

2022.10.28 コラム

歌舞伎を楽しむ その3「歌舞伎鑑賞の必須アイテム」

歌舞伎を楽しむための必須アイテムは、①イヤホンガイド ②双眼鏡 ③弁当 であると私は勝手に決めています。

 

イヤホンガイドは、胸ポケットに入るサイズの受信端末で、片耳だけのイヤホンが付いた歌舞伎専門の音声同時ガイドです。

幕が開く前からあらすじ・役者などの解説がスタートし、

幕が開くと絶妙なタイミングで場面に応じた役者の紹介・あらすじ・言葉の説明・時代背景・歌舞伎のお約束事などを

短く耳障りなく説明してくれるので、歌舞伎がいっそう面白くなります。

「株式会社イヤホンガイド」の初代社長が歌舞伎座と朝日新聞の協力を得て1975年に開発したものです。

解説者は元アナウンサー、江戸文化研究者、歌舞伎愛好家・研究者など約30名が在籍しています。

解説者は舞台稽古を実際に観てガイド文章を作成し自分の声で録音します。

その録音を劇場内のオペレーション室でオペレーターが舞台と台本を見ながら電波で飛ばします。

イヤホンガイドは劇場内で借りますが、賃料700円+保証金1000円で、保証金は端末返却時に戻ります。

外国人には英語版字幕ガイドがあります。来日する外国演劇・オペラ・ミュージカル・コンサート等でも活用されています。

 

双眼鏡は1階で観るには不要ですが、2~4階は舞台から離れているので、あれば便利です。

歌舞伎座ではオペラグラスとして貸し出していますが、自宅にある普通の小型双眼鏡でいいのです。

役者の顔・隈取、見得の場面、など気になるものをチラ、チラと見て楽しみます。

 

究極のアイテムはなんたって弁当です。

昼夜の部では、幕間 (まくあい) は、1回は30分、もう一回は15~20分です。長い30分を利用して食事をとります。

お目当ての店で購入した弁当を席でお連れ様と食べるのが一般的です。

その他には、事前に予約して歌舞伎座内のレストランで食べます。廊下のソファで食べる人もいます。

幕間に食事をすることで、観劇の実感が湧き、非日常を感じることができます。

K.S.

 

※劇場は、コロナ感染対策として食事の禁止、場内レストランの営業中止の場合がありますので、「歌舞伎美人」サイトでご確認ください。

2022.10.21 コラム

ケルトの国―アイルランド小噺 ハロウィン②

さて、ハロウィンの歴史を語る時「ケルト」について触れざるをえなくなる。

 

ケルト文明は、その定義については諸説あるが、簡単に言うとギリシャ・ローマ文明の前に、欧州で広く繁栄した文明で、

例えば映画でいうと「ロード・オブ・ザ・リング」、「ハリーポッター」にケルト神話、妖精、魔法といったケルト的な要素が色濃く反映されておりそこからイメージしやすい。

また、有名なアーサー王伝説もケルト伝承がもとになっていると言われている。

簡単にいうとキリスト教文化とは対極にある多神教、自然崇拝、生命循環を基調としている。

 

ハロウィンは、このケルトの伝統的な行事である「サウィン」を起源としていると言われている。

ケルトの暦の新年は、現在の太陽暦の11月1日、厳しい冬の始まりとなる初日とされた。

前夜の大晦日となる10月31日の日没から始まる「サウィン」の夜にそれまでの1年の旧時間と来るべき1年の新時間が交じり合い、

普段死と生を隔てる壁が取り払われてあの世とこの世の間の扉が開かれ、祖先や親しい死者たちがこの世に戻ってくると信じられていた。

 

日本のお盆に似たような風習で、祖先の霊や親しかった死者を家に招き入れてもてなし静かに供養する冬の始まりの夜が「サウィン」。

ただ、厄介なことに死者の霊とともに悪霊も一緒にやってきてしまうため、その悪霊に人間だと気づかれないように火を焚いたり仮面をつけたりして身を守ったともいわれ、それがハロウィンの代表的な習慣でもある仮装の起源になったと言われている。

 

ではアイルランドなどで細々と静かな行事として行われていたハロウィンがどのように日本を含めて世界的な行事となっていったか、
その背景について次回触れていきたい。

Y.T.