お知らせNews

年別:

2026.02.06 コラム

ケルトの国―アイルランド小噺 《NHK朝ドラ”ばけばけ“:小泉八雲とアイルランド③ 》

現在NHK朝ドラで放映されている“ばけばけ”で小泉八雲をモデルにした主役の名はレフカダ・ヘブン。レフカダ・ヘブン役を演じている俳優が、トミー・バストウ。いまやお茶の間でも知られ始めているトミーだが、“ばけばけ”が始まるまでは、ほとんど日本では無名の役者さんだった。もともとトミーは、イギリスのロックバンド“FRANKO”でリードボーカルをしているプロミュージシャンでもあったが、俳優業も10代の若いころからかかわっている二刀流である。

 

俳優としては、唯一、日本で知られているとすれば、真田広之が主演、プロデューサーも兼任しエミー賞やゴールデングローブ賞などで数多くの授賞作品となったアメリカのテレビドラマ“SHOGUN”にポルトガル宣教師役で出演して、堪能な日本語で好演していることぐらいかもしれない。

筆者も“SHOGUN”に出ているトミーを見て、日本語の達者な良い役者さんだな、こういう役者が“ばけばけ”の主役になれば良いな、と思っていたら、なんと1767人の応募者によるオーディションの末、本当に主役に抜擢されたと聞いた時は正直腰が抜けるほどびっくりしたことを記憶している。何でも“SHOGUN”で共演していた日本の女優から“ばけばけ”のオーディションがあることを聞き、NHK橋爪プロデューサーに直接コンタクトして、オーディションに応募したらしい。

ちなみにトミーは、“ばけばけ”の次は、米国テレビドラマ“SHOGUN 2”への出演も決まっており、今後日本でも海外でも益々注目される俳優に成長していくことを確信している。

 

筆者は三回ほどトミーとはお会いしているが、本当にイケメンの人柄の良さを感じる好青年である。

トミーは、アイルランド人と想像する方もいると思うが、実際はイギリス人である。ただ、曾祖父がアイルランド人なので、アイルランド系のイギリス人と言うこともできる。

そういうトミーとアイルランドの関係は、NHKで昨年11月3日に放映された“ばけばけ トミー・バストウが巡るアイルランドとニューオリンズ” という番組でも取り上げられていて、実際に彼が小泉八雲が幼少期を過ごしたアイルランドのダブリンにある叔母の家の八雲の部屋だったところなども訪問している。(ご興味がある方は、NHKOneで1/10までこの番組を見ることができる。)

 

後程もう少し詳しく触れさせていただく小泉八雲とアイルランドとの深い関係やトミーとアイルランドの関係から、昨年3月15日(日)に東京の代々木公園で開催された“グリーンアイルランドフェスティバル” のメインステージでは、トミー・バストウとNHKの橋爪プロデューサーにも登壇いただいて挨拶・トークをしてもらったり、主演の高石あかりさんのビデオメッセージをいただくことができた。

 

ちなみに、「グリーンアイルランドフェスティバル」とは、アイルランドの国民的な祭日である”セント・パトリックデー”(3月17日)を日本でも祝って、毎年3月その日に近い週末に2日間代々木公園でアイルランドの音楽・ダンス、その他文化・スポーツ・グルメ他全般を紹介するイベントである。

例年10万人以上の来場者を迎えているアジア最大のアイルランドのショー・ケースとなるイベントで、本年は3月14日(土)-15日(日)2日間また代々木公園で開催される予定だが、今年は、開催し始めてからいよいよ10周年を迎える。筆者は、僭越ながら創設時よりこのイベントの実行委員長を務めてきているが、主催者としてはNHKさん、トミー、高石さんに大変に有難い協力をいただき感謝の言葉しかない。

 

さて、今回の稿でも、本題の小泉八雲とアイルランドの深い関係について触れずに終わってしまいそうだが、最後に“トミー・バストウ”ネタをもう一つご提供したい。
トミーは“ばけばけ”のヘブン役と違い、かなり堪能な日本語を話すが(“ばけばけ”でのあの片言の変な日本語はさぞ逆に苦労していると思われる。)、日本に来たことも学校で正式に習ったこともない彼がなぜ上手な日本語が話せるようになったか?

聞いたところによると、独学で日本語を学んでいた彼の日本語がうまくなった一因として、テレビドラマ“SHOGUN”のロケでカナダのバンクーバーに来ていた時に、たまたまお笑いコンビ“オアシズ”でかつて大久保佳代子さんとコンビを組んでいた光浦靖子さんが、バンクーバーに語学留学に来ていた時に知り合い、そこでお互いの言葉を教え合う‘語学交換‘をしていたことが影響しているらしい。なんとも面白いご縁である。

Y.T.

2026.01.23 コラム

ケルトの国―アイルランド小噺 《NHK朝ドラ”ばけばけ“:小泉八雲とアイルランド② 》

現在、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラで放映されている“ばけばけ”で小泉八雲をモデルにした主役の名はレフカダ・ヘブン。この名前の由来は、レフカダ(Lefcada)は、前回の投稿でご紹介した小泉八雲の生誕地の現在ギリシャのレフカダ島に由来していて、また古代ギリシャ語で「彷徨」という意味もあり、まさしく朝ドラでも描かれている小泉八雲の“さまよい人”としての彷徨の人生を象徴している名前となっている。

 

ちなみにオリジナル名のラフカディオ(Lafcadio)は、「レフカダ島の」を意味するギリシア語の英語訳で、ハーン(Hearn)の由来はラテン語の「漂泊」という言葉に由来するアイルランド系の姓でこちらも“さまよい人”の特性を表す語源で面白い。

 

また、ついでにこれもよく知られている話ではあるが、小泉八雲は日本では、「ヘルン先生」という愛称で呼ばれ、教師として教える生徒に大変に慕われていた。もともとは、日本での最初の滞在の場所となった島根県松江の島根尋常中学に英語教師として赴任した際に、辞令にHearn(ハーン)という英語の名前が、ヘルンと読み間違えて表記されたことから生徒や同僚がヘルン先生とかヘルンさんと呼ぶようになり、本人もその呼び名を気にいったことから定着するようになったらしい。

 

さらに名前で脱線すると、“ばけばけ”ヒロインの高石あかりさん演ずる「松野トキ」の名前の由来についても面白い情報がある。筆者が懇意にさせていただいている小泉八雲の曽孫で現在松江市の小泉八雲記念館の館長である小泉凡さんが、その由来を最近出版された著書「セツと八雲」(朝日新書)の中で次のように述べている。(筆者要約)

 

小泉八雲と小泉セツの二人は、出身が違う国で言語も異にすることから会話に大変に苦労して、コミュニケ―ションをスムーズにしていくために「ヘルン言葉」という独自の意思疎通の方法を編み出していく。それは、助詞(てにをは)を抜き、動詞や形容詞の活用もなく、語順は英語式というユニークなもの。

小泉八雲は、松江を手始めにその後、熊本、神戸、最後に東京とあちこち転居して“さすらい人”としての本領を発揮するが、最後の地、東京にいる時に、静岡の焼津がいたく気にいり、家族でたびたび焼津で過ごした。八雲が亡くなる前の最後の夏に焼津で過ごした時のこと、我が子にアイスクリームを買ってあげようと新橋駅で考えたが、汽車の出発まで時間がなくて買ってあげられなかったことを「ヘルン言葉」で“スタシオン ニ タクサン マツ  トキ アリマシタ ナイ” と表現した。

その言葉の一部を使って「松野トキ」という名前ができたとのこと。さすがに、小泉凡さん、朝ドラ“ばけばけ”制作に深くかかわっている方の貴重な情報である。

また、番組の中で、堤真一と北川景子が産みの親を演ずる雨清水(うしみず)家で生まれたので出生名が、「雨清水トキ(うしみず・とき)」、怪談好きのトキのイメージと「丑三つ時(うしみつどき)」を掛け合わせたダジャレネームだという説もどうやらあるようである。

 

さて、本題に入る前に本稿では、“ばけばけ”の命名談義で終わってしまったが、次回以降小泉八雲の生い立ちやアイルランドとの関係について簡単にご案内していきたい。
Y.T.

2026.01.09 コラム

中国ぶらり旅 ― 雲南省

今から15年程ほど前になりますが、北京駐在時代に中国の雲南省を訪れました。雲南省は中国の西南部に位置しミャンマーやラオスと国境を接した山岳地帯です。
省とはいっても面積は日本とほぼ同じ。そこに25の少数民族が暮らしています。昆明空港でタクシーをチャーターし、定番ですが、麗江、石林、大理等の観光名所を見て回ることにしました。
タクシーの運転手は見るからに人の良さそうな話好きの中年オジサン。道すがら「雲南省はまだ貧しい省だけれども昆明はまだいい。観光客が来てくれるから暮らし向きも他の地域に比べたらいいほうだ。」、「いつか日本に行ってみたい。」などなど。

一日目の観光を終えて明日もよろしくとお願いしたところで、オジサン何を思ったか「もし良かったら今夜私の家に来ないか。二日間チャーターしてくれたお礼に料理をご馳走したい。」と言い出しました。「まさか拉致されて身ぐるみはがされるんじゃないだろうな。。」という一抹の不安が一瞬頭をかすめましたが、いやこのオジサンに限ってそんなことはなかろうと話に乗ることに。

彼の家は市内から30分くらい走ったところにありました。オジサンの本業は農業で農閑期にタクシーの運転手をしているとのこと。家に着くと家族総出で迎えてくれてご馳走が山ほど。メインはさっきまで庭を走り回っていた鶏の料理。「ガ~ン!」私は鳥料理が大の苦手。「さあ遠慮なく。」と勧められるもののどうしても箸が動かず。仕方なく白酒をガンガン飲んでごまかすことに。家族全員皆良い人ばかりで、「一杯、一杯、再一杯!」宴会は大いに盛り上がったのでした。

楽しい宴もお開きの時間となったところで、オジサン「ホテルまで車で送っていく。」と言い出しました。「え~、しこたま飲んでもう出来上がってるじゃん!呂律回ってないよ。」正真正銘の酔っ払い運転。それを言うとオジサン曰く、「少し飲んだくらいの方が運転は冴えるんだ。」とこれまたむちゃくちゃなことをのたまう。ホテルに帰るにも他に足がないので仕方なく酔っ払い運転のタクシーでホテルに戻る羽目になったのでした。当然のこと車内で私の足はずっと突っ張ったままでした。

都会の喧騒と雑踏を離れ自然豊かな田舎で気の良い人たちとの異文化交流(かっこよく言うと)、都会では味わえない人情味と優しさを堪能した3日間の旅でした。

Y.S.

2025.12.26 コラム

ケルトの国―アイルランド小噺 《NHK朝ドラ”ばけばけ“:小泉八雲とアイルランド① 》

現在、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラで放映されている“ばけばけ”を視聴されているだろうか?
ご存じの方も多いと思うが、今回のヒロインのモデルは、小泉八雲(英語名:ラフカディオ・ハーン)の妻、小泉セツとなっていて、小泉八雲とセツの生い立ちから出会い、二人で手を取り合って素晴らしい歴史に残る文学の名作を作り上げていく過程を描いていくもので、従来にない斬新な演出で話題を呼んでいる。

 

この主人公である小泉八雲(英語名パトリック・ラフカディオ・ハーン)が、アイルランド人であることをご存知の方はどれ位いるだろうか?

詳しくは、また、今後ご案内していくが、小泉八雲は、日本ではギリシャ人とかイギリス人と学校で習うことが多い。しかし、その生い立ちや性格や作品から、アイルランド人と定義するのが最もふさわしいと思われ、実際にNHKでも歴史探偵などの番組で小泉八雲を取り上げた時は、アイルランド人の小泉八雲と紹介がされている。

ギリシャ人と呼ばれるのは、母親(ローザ・カシミティ)がギリシャ人で小泉八雲の生誕地が現在のギリシャのレフカド島であったこと(レフカダ島は生誕当時は、イギリスの保護領)によるが、ギリシャに住んだのは、きわめて短期間で生まれてから幼児の2歳までとほとんど記憶が残らない時代なので、ギリシャの影響は極めて限定的と言うことができる。

また、父親(チャールズ・ブッシュ・ハーン)は、アイルランドダブリン出身のアイルランド人であるが、当時アイルランドは、イギリスの統治下にあり自然とイギリス人と称されることも多く、また父親がイギリス軍の軍医をしていたことも影響していると思われる。

 

小泉八雲とアイルランドの関係については、今後もう少し深くご案内するが、NHK朝ドラ“ばけばけ”について少し触れると、筆者は、小泉八雲とアイルランドの深い関係からこのNHK朝ドラ“ばけばけ”にアイルランドとの関係で関与しており、この番組のNHKプロデューサーの橋爪國臣氏(大河ドラマ“青天を衝け”、朝ドラ”ブギウギ“などプロデューした期待の若手プロデューサー)とは懇意にさせていただいている。
例えば、アイルランド首相が今年6月に来日した時に、大阪万博のアイルランドパビリオンでのレセプションで初めて”ばけばけ“の予告編を本邦初で放映してくれるなど大変にアイルランドに理解のある御仁である。

 

橋爪プロデューサーのご招待で、一度大阪城の近くにあるNHK大阪放送局にある“ばけばけ”の録画スタジオを訪問させてもらって、実際のロケ風景を見学するという貴重な経験をさせてもらったが、NHKの朝ドラ、特に今回の“ばけばけ”にかける意気込みとこだわりを目の当たりにさせてもらい感動したことを今でも思い起こす。毎朝、定番に番組に出てくる主演の松野トキ(小泉セツがモデルとなっているヒロインで高石あかりさんが主演)の実家のこだわった作りこみ方や、大河を思わせる映像を作りこんでいく過程、常時100人以上のスタッフ(方言指導だけでも常時2-3人もいるなど)で収録していく様は圧巻であり、主演や準主演の俳優の方々を身近に見たり挨拶することもでき、今回の朝ドラがさらに身近になるきっかけともなった。

 

余談が長くなったが、これから、小泉八雲の人生、アイルランドとの関係や、どのように影響を受けたか、また小泉八雲とセツがどのように出会い、今も続いている小泉家を形作っていったかについてご案内していきたい。

Y.T.

 

2025.09.19 コラム

中国に名医あり -その2-

前回に続き今回は眼科医の話です。
今からちょうど四半世紀前、2001年の春私は北京のとある眼科医院で近視の矯正手術(所謂「レーシック手術」)を受けました。
当時日本ではまだそれほど普及していなかったレーシック手術でしたが、私がいた北京にはいち早くその技術を身に付け多くの臨床例を誇る名医がいました。手術でレーザーを使う点は今と同じですが、当時の手術方法は今ほど簡単ではなく次のような工程で行われていました。

 

①眼球の外壁を覆っている角膜を引っ掻き棒のようなもので眼球から剥す
②眼球を丸裸にしてからレーザーを照射
③レーザー照射後、剥した角膜を元のように眼球に張り付ける
④角膜が眼球に付着するまでの間保護用コンタクトレンズを装着
⑤一週間後コンタクトレンズを外す、概ねこういう流れでした。
私はVIP患者として院長(Dr. 胡)に手術をしてもらいましたが、彼はテレビにも時々顔を出す有名な眼科医でした。
手術が無事成功したことはもちろん、私の視力は25年経った今でも術後の1.0をキープしています。

 

ところでこの手術には後日談があります。
当時私は中国総代表として北京に駐在していましたが、当時の中国拠点は駐在員事務所で、営業行為あるいは営業類似行為は一切できません。
情報収集、人脈作りが主なミッションでした。ところがある事務所で営業類似行為があったという指摘を受け、当時の監督官庁である中国保険監督管理委員会(日本でいう金融庁)から呼び出しを受けました。レーシック手術のわずか3日後のことです。
「これはまずい!営業免許活動に影響するのは必至だ。」目の痛みも忘れるほどの一大事。
実は手術前に説明を受けていたのですが、術後しばらくは目の腫れと涙が続くとのこと。その説明の通り術後両目は腫れずっと涙が出続けていて、呼び出された日もずっと涙目でした。担当係官からいろいろ事情を聞かれている間もずっとハンカチで涙を拭いている状態。
そんな姿を見て係官は「素直に非を認めいたく反省しているようだ。」とでも思ったのでしょうか、最終的には「口頭注意」という極めて軽い処分で済みました。
その後流れた涙の中には嬉し涙も混じっていたかもしれません。
男の涙はあまり絵になりませんが、こんな効用もあったのではと今でも思っています。

Y.S.

2025.08.22 コラム

中国に名医あり -手術体験記-

私は中国(北京)に駐在していた十数年の間に現地で2度大きな手術を受けています。今回はそのうちの一つについてご紹介したいと思います。

話は今から15年前。当時私は頸椎ヘルニアを患っており、藁をもすがる思いで「針治療」「中医マッサージ」「頸椎牽引」「投薬」などありとあらゆる治療を行っていました。
しかし症状は全く改善せず、左上半身(首、肩、腕、指)の凝りと痛みと痺れはひどくなる一方で夜も眠れない日々が続いていました。

 

そんなある日、知り合いから「頸椎専門のいい病院がある」という話を聞き早速行ってみることに。
その病院は「北京頸椎病医院」といい北京の郊外にありました。病院の正門を入った瞬間、思わず「え!」と声が出ました。
目の前に見えたのは古びた外壁に蔦が絡まったまるでお化け屋敷のような建物。「おいおい大丈夫か。」と思いつつ外来受付へ。
その日は問診の後、レントゲン、CTスキャン等一通りの検査を受け、後日検査結果を聞くと「重度の頸椎ヘルニア」とのこと。
治す方法は手術以外にないという説明でした。日本に帰って手術を受ける選択肢もありましたが、長期間北京を離れるわけにはいかない状況でもあったため一抹の不安を抱えながらもその病院で手術を受けることを決意。それほど切羽詰まった状況だったのです。

 

その旨担当の医師に伝えると、さっそく手術日が決められ、ついで手術のやり方の説明がありました。そこで2度目のびっくり。
手術は通常のやり方と同じ頸部切開で行うのかと思いきや全く想像もできない方法だったのです。

その方法とは、喉元から医療針を突き刺し患部(第5~第6頸椎の間)まで挿入後、針の先端から高温の赤外線を照射して神経を圧迫している椎間板を焼き切るというものでした。しかもこれを麻酔無しで行うと。「え~マジ!」これにはさすがに腰が引けたのを覚えています。

さりとて今更逃げ出すわけにもいかず全てを担当医に任せることに。
手術当日、手術を始めるにあたって担当医から「声が出せないと思うので、もし痛くて我慢できなかったら手を挙げて教えて。」と言われました。
「なんだ、痛いのかよ~」。その時の私はまな板の上で目打ちされるのを待つウナギの心境とでも言いましょうか。
「それでは始めます。」という声に続いて喉元から医療針が差し込まれましたが、不思議なくらい痛みは感じませんでした。
針が患部に届いたのをモニターで確認して赤外線の照射が始まりました。
ほどなく患部が猛烈に熱くなり、しばらくすると「ポトン!」と何かが首筋に落ちる感覚が。
それは悪さをしていた椎間板が焼け落ちた瞬間でした。

これで手術は終了。手術室に入ってから出るまで時間にして30分程だったでしょうか。手術後暫くコルセットを装着した生活を強いられましたが、凝りや痛みや痺れは全くなくなりほどなくして普通の生活が送れるようになりました。

 

中国での医療事故は数多く耳にしてきましたが(中には手術ミスで命を落とした日本人もいました)、こういう名医もいるのだということを身をもって実感したのでした。

Y.S.

2025.08.08 コラム

大阪・関西万博訪問記(その3)

さて、今回は、大阪関西万博の象徴であり、また絶対忘れてはならない最も重要なイベント施設としては、「大屋根リング」についてご案内したいと思います。

ご存知の通り世界最大の木造建築物としてギネス世界記録に登録されている施設ですが、筆者を始め、万博を訪問した人が最も印象に残るものとしてこの大屋根リングを挙げることが多く、本当にリング自体の圧倒的な大きさと存在感、屋根に上がって見える景色は、本当に圧巻です!

 

1周約2キロ、徒歩でただ歩くだけでも30-40分、ゆっくり見たり写真を撮っていると一周1時間位かかってしまうこともあります。ただ、1周しなくとも好きな部分だけをエスカレーターやエレベーターや階段を使って自由に見て回ることももちろん可能です。

ただ、リング上を散歩して万博会場内の各種カラフルなパビリオンを見るだけでも万博を訪問する価値があると言う人も多くいます。筆者は、リング上から見る夜の万博会場が特に

素晴らしいと感じており、ライトアップされた各パビリオンの姿やリング自体も大変に美しいもので、これからの夏の暑さを考えると夜にナイト万博を楽しむというのも一つの楽しみ方になると考えています。

また、昼間は、万博会場のみならずリングから見る瀬戸内海や大阪市内の様子もなかなか見ごたえがあることも触れておきます。

 

さらには、リング上から見れる各種のイベント、例えば毎晩夜行われるドローンショー、先日おこなわれたブルーインパルス飛行、ウォーターショー、花火等の観覧、またリング自体を使って行われるイベント、例えば万博開催初日に開催された1万人によるベートーベンの第九の演奏や、7/28に開催される7000人規模で行われる「大屋根リング盆踊り」など話題に欠かせない存在となっています。

 

一点リングで注意すべきは、特に雷雲が近づいてきたりして万博協会が危険と判断するとすぐにリング上から退去させられる、進入禁止となることもあり、筆者も何度か経験していますのでご注意ください。

 

リングのもう一つの良さは、ひどい雨風以外は、リングの下に広い通路や休憩用のベンチが多数あり、雨除けや休憩スペースになること、またこれからの万博会場の最大の問題となる暑さ対(暑い日差し除け)に多少なるというメリットもあります。ただ、雨風が強くなると雨が降りこんできてしまいますので、風雨が強そうな日は、雨合羽も持参されることをおすすめします。

 

余談となりますが、万博会場内は、海に面していることもあり、大阪市内よりは多少気温が低く、風も吹きやすいのですが、それでもこれからの夏本番では、空調がある場所はきわめて限られており、会場内は非常に広く歩き回る必要があることや人気パビリオンで長時間並ぶことも視野に入れると十分な暑さ対策をして訪問することを強くおすすめ致します。

 

それでは、次回は、イベントの中でもほぼ毎日行われている各国の「ナショナルデー」というイベントについて、アイルランドのナショナルデーなどについても触れながらご案内できればと思います。

Y.T.

2025.07.25 コラム

大阪・関西万博訪問記(その2)

大阪万博が、開始してからはや3か月以上たち、最終日10月13日までの折り返しのタイミングを過ぎました。
来場者数もうなぎ上りに増えてきており、7月20日までの累計来場者は、1100万人を超えましたが、まだ万博協会が設定した2800万人という来場者目標への到達ペースには乗ってきていない状況です。ただ、これから夏休みシーズンとなり来場者数が加速度的に増加することが期待されています。特に、課題は、近畿圏からの来場者は、リピーターも含めて全体の3分の2と多いのに比して、関東その他の地域の関心度がまだまだ低いことが大きな課題となっています。

 

筆者も、すでに関係しているアイルランドパビリオンの関係のイベントも含めて6回以上万博会場を訪問していますが、これから訪問する方も多いと思いますので大阪万博で楽しめるポイントをいくつかご紹介させていただきたいと思います。

 

最初に、万博の花形は、国内外の180以上あるパビリオンであることは申し上げる必要もないと思いますが、パビリオンのご案内は、とてもこの紙面上では多すぎてできませんので、もう一つの魅力である毎日会場内で開催されているイベントについて触れたいと思います。
ただ、パビリオンでいうと一つだけ最近のトピックをあげるとすると、今まで開館されていなかった最後のパビリオンであるネパールパビリオン(筆者が関係するアイルランドパビリオンのすぐ隣にあります。)がついに7/19にオープンして、これですべてのパビリオンがやっと出そろいました。

 

さて、大阪万博会場では、毎日色々なイベントスペースで多様なイベントが開催されており、主要な万博共通のイベントスペースとして大型の施設として以下があります。

 

・EXPOアリーナ「Matsuri」 (屋外約16,000人収容)
・EXPOホール「シャインハット」 (屋内約1900名収容)
・EXPOナショナルデーホール「レイガーデン」 (屋内約500名収容)
・EXPOメッセ「WASSE」 (屋内展示場)

 

また、中小規模イベントスペースとして、ポップアップステージ東内/東外/西/北(屋外それぞれ約200-300名規模)、ギャラリーEAST/WEST(屋内・外展示場)があり、それぞれで毎日各国のイベントやテーマに沿ったイベントが開催されています。予約なしに自由に参加できるイベントも多いので行かれた日もタイミングがあれば立ち寄って楽しむことも十分に可能です。

 

ご参考までに万博で行われている各種イベントは、以下の万博Websiteからチェックできますので、これから行かれる際は、訪問日のイベントを事前に是非チェックして行かれることをおすすめします!

https://expo-calendar.com/

 

さらには、各パビリオンでも屋外にイベントスペースを持っているところもあり、筆者も超人気パビリオンのひとつである「大阪ヘルスケアパビリオン」の屋外ステージで開催されたアイルランド関係のイベントの企画・開催に携わりました。ただ、これらのイベントは多く実施されているのですが、各パビリオンのWebsiteを個別にチェックしないと残念ながらイベントの有無も含めてわからないのが現状です。

それでは、次回は、大阪・関西万博の象徴であり、イベント施設の目玉である「大屋根リング」について触れたいと思います。

Y.T.

2025.06.24 コラム

一个都不能少(=あの子を探して)

表題は中国の有名な映画監督張芸謀(チャン・イーモウ)の代表作の一つである映画のタイトルです。主人公は中国の寒村にある小学校で代理教員を務める13歳の少女。ある日家庭の事情で一人の教え子が村から失踪します。なんとしてもその子を村に連れ戻したい彼女は必死にその子を探し求め、最後に涙の再会を果たすという感動の物語です。

 

話は飛躍しますが、自分が鬼籍に入る前にどうしてももう一度会いたい、そんなふうに思っている人はいませんか。こうした気持ちを胸に秘めている人は女性より男性に多いのでは。(*これは私の個人的な感想です)
何故かと言えば、女性は「思い出」を上書きし、男性は「思い出」を個別ファイルに入れて持っているから。かくいう私もその一人。今回は私がどうしてももう一度会いたいと思っている一人の中国人女性の話です。

 

今から40年前語学研修生として北京にいたとき、私は大学のキャンパスで一人の中国人女性と知り合いました。彼女は風光明媚な観光地として有名な「桂林」の出身で、全てがあか抜けていました。
それもそのはず、彼女は桂林で誰もが知る地元の有力者の娘だったのです。彼女はその後日本に留学し(私が身元保証人を引き受けました)、大学卒業後日本の企業に2年ほど勤め、その後故郷へ戻り不動産開発会社を立ち上げます。
有力者である父親の人脈をフルに活用し、また当時の不動産開発ブームにも乗って会社の業績は急拡大します。有り余るほどの富を手にし、彼女は一躍セレブの仲間入りを果たします。

全てが順風満帆のように見えたのですが、その後彼女の身にとんでもないことが起きるのです。

 

不動産開発会社の社長として忙しい日々を過ごしていた彼女ですが、ある日一人の男性と出会います。彼は北京大学を卒業したエリートで、女性が理想の結婚相手に求める条件とされた「三高」(高身長、高学歴、高収入)を地で行くような青年でした。彼女はそんな彼に一目惚れし二人は電撃結婚します。ほどなくして彼女のお腹には新しい命が。

公私共に充実した日々を過ごしていた彼女でしたが、ある日妙な噂を耳にします。その噂とは、彼には他にも奥さんがいるという衝撃的な話でした。彼女は事の真相を問い詰めます。すると彼はあっさりとそれが事実であることを認め、「私には現在離婚調停中の妻がいる。しかし彼女はなかなか離婚に応じてくれない。でも君のことが好きでたまらなくそれを隠していた。許してほしい。」と言ったそうです。彼は結婚に必要な書類を偽造していたのです。

 

事実を知った彼女は即離婚し、「金輪際男は信用しない。」とシングルマザーとして生きていくことを決意します。数年後、彼女はカナダのバンクーバーに豪邸を購入し娘と共に移住します。私も一度その豪邸に招かれて行ったことがありますが、それが彼女と会った最後となりました。その後音信不通となってしまい、あの親子は今どこでどうしているのか、もはや知る術はありません。

 

中国で知り合いその波乱に満ちた人生を間近で見てきた私としては、彼女は忘れ得ぬ人の一人です。できるものならもう一度会いたい、この気持ちは今でも色褪せることはありません。

『会者定離(えしゃじょうり)』= 会うは別れの始め。この世の定めとわかっていても、思い出を上書きできずにいる男あり。

Y.S.

2025.06.06 コラム

大阪・関西万博訪問記(その1)

4月13日より開催してはやくも1か月以上たつ大阪・関西万博には、筆者が深く関わっているアイルランドが単独のパビリオンを出展している関係ですでに3度ほど訪問していますが、その際に感じたことや万博の魅力、訪問時のこつ等について、今後ご案内できればと思います。

 

開催前には全般的にメディアから辛口の批判ばかりが目立った大阪・関西万博2025(正式名:2025年日本国際博覧会)は、たまたま大阪で実施されるだけであって、本来名称の通り日本の博覧会であり、国中で盛り上がるべきイベントで、そもそも最初の維新と政権の政治的思惑から始まり、資金面・運営面でも数々の問題が噴出して関西圏を除けば、ほとんど認知度が低く、悪評判ばかりが目立ちました。
しかし、いざ始まってその具体的な内容が明らかになりパビリオンやイベントの具体的な魅力が発信されるに連れて、評判が上がっている現状ではないかと思います。
入場者数も最初こそ予定より大幅に少ないというようなネガティブキャンペーンの嵐から、今は徐々に入場数が増えてきており、混雑ぶりも目立つようになってきています。

 

例えば、海外パビリオンで最も人気のあると言われているイタリアパビリオンは、カラバッジョの名画やミケランジェロの彫刻が持ち込まれていて、実際の美術館のように直接実物が見れる等素晴らしいパビリオンですが、私が4月に訪問したときは、予約して入りましたが、予約なしでもその時は、1時間ほど待てば入館できた時もあったのに、最近の情報では予約なし訪問では、4時間待ちという話も出ており、予約自体も取りにくくなっているようですので、それだけ来場数が増えてきていて、口コミで人気のパビリオンは益々入りにくくなってきているのが現状と思われます。

一方で、人気パビリオン以外で気軽に入れる国のパビリオンや展示も多く、万博会場内を気軽に歩くだけで色々な国のイベントが行われているスペースもあちこちにあり、またギネス記録で世界最大の木造建築物と認定された素晴らしい大屋根リングの上をぶらぶら散歩して(1周徒歩40分程度かかかります。)
パビリオンの外観を眺めるだけでも楽しい雰囲気を味わうことができます。さらには、昼夜のウォーターショーや夜のドローンショーは予約してなくてもリング上からも見れる楽しめる毎日のイベントです。

 

ところで大阪・関西万博のメインテーマをご存知でしょうか?
ほとんどの人は、知らないと思いますが、「いのち輝く未来社会のデザイン」がメインテーマであり、未来の新しいテクノロジーを具体的に目の前で見れることでも筆者としては非常に楽しく、例えばマツコデラックスのアンドロイド作成で有名な石黒博士がプロデュースした「いのちの未来」パビリオンでは、実際にアンドロイドの実物を見ましたが、鉄腕アトムではありませんが、実際に人型のロボットやアンドロイドが身近にいる未来が目の前まできていることを実感できたりしました。

また、若い世代にとっては、特に様々な海外の国の存在、文化、食や人々を身近に体験できるということだけでも、非常に価値があることを訪問して改めて強く感じました。

 

その辺の具体的な魅力を今後多少なりともお伝えするとともに、ただ良いことばかりでなく運営面での問題点もまだ多く訪問する際の注意事項や回る際のこつについても知っている範囲でお伝できればと思いますので今後お見逃しなく。

Y.T.

 

筆者が関係するアイルランドパビリオン

 

イタリアパビリオンのカラヴァッジョの名画(バチカン美術館所蔵)

 

人気No.1ガンダムパビリオンの実物大ガンダム